地元に戻ったのは30歳前後だった|地方で若くして経営を担った12人に共通していたこと
「若いうちに地方で挑戦する」と言うと、勢いのある起業の話を想像します。ところがShikisaiのインタビューを読み返していくと、地方で若くして経営を担った人の話は、そのイメージとかなり違っていました。
12本を並べて最初に気づいたのは、年齢がきれいに固まっていることです。地元や家業に戻る・移るという決断が語られた年齢は、24歳、25歳、30歳、30歳、32歳、34歳。20代後半から30代前半に集まっていました。そして、その決断の引き金になったのは事業計画でも補助金でもなく、結婚、休みに帰省したときの立ち話、祖父母の畑、吹奏楽団の団長の一言——生活のなかの出来事ばかりだったのです。
この記事では、Shikisaiのインタビュー12本から、若くして地方の経営に入った人たちの「入り方」と、入ったあとに最初に手をつけたことを、編集部なりに整理しました。世代交代を考えている会社にも、地方で何かを始めようとしている人にも、判断の材料になるはずです。
目次
「戻る年齢」は20代後半から30代前半に集まっていた
いちばん分かりやすいのが、北海道浦河町で53年続く神馬建設の三代目・神馬充匡さんです。神馬さんが地元に戻ったのは32歳。学生時代に実家でアルバイトをしていたとはいえ、10年も経つと使う道具も技術もすっかり変わっていて、そこからは周りの大先輩に聞きながら覚え直したといいます。
山梨のマルシン石油を叔父から引き継いだ渡邊さんも、山梨へ戻ったのは30歳のときでした。入社してから代表を引き継ぐまでには時間があり、実際に代表になったのは2018年のことです。
関東商事の栗本涼さんの場合は、年齢そのものが父から示された期限でした。
20代半ば頃に30歳になる時に、会社を継ぐか自分の好きなことをしていくかを決めてほしいと言われたんです
栗本さんは30歳で「入る」と決め、ちょうど整備場の長を任されたことから、実務のリーダー経験を1〜2年積んでから入社しています。決断の年齢と、実際に社内に入った年齢がずれているのが面白いところです。
いちばん早かったのは富山県入善町の田中印刷・田中洋己さんの24歳。逆にいちばん遅かったのが、沖縄のプロ卓球チーム・琉球アスティーダを率いる早川周作さんで、沖縄に移住して東京との二拠点生活を始めたのが34歳くらいでした。
10年ほどの幅はありますが、「20代前半で地元に帰った」という話も「50代で戻った」という話も、この12本のなかでは出てきません。仕事を一通り覚えて、自分の裁量が見えはじめた頃——それが多くの人にとっての分岐点になっていました。
引き金になったのは、事業計画ではなく生活のなかの出来事だった
年齢以上に共通していたのが、きっかけの種類です。
神馬さんの転機は、休みに地元へ帰ったときの立ち話でした。神馬建設で家を建てたことのある人から声をかけられます。
「お前、神馬の息子だよな」「ちゃんと親父の仕事を見てるのか」
そして「俺はこういう家が欲しい、とお前の親父に頼んだら、それ以上のものを作ってくれるんだ」と続けられ、自分がしたかったのは「顔の見える仕事」だったのだと気づいた、という流れです。
田中印刷の田中さんは、もともと愛知県に住んで吹奏楽団の活動をしていました。動いたのは、その団長の言葉です。
「入善町のような地域の印刷会社は大事にしなければいけない。お前がやるべきだ」と強く言われたんです
田中さんには他社の内定もありましたが、この一言で方向が変わり、父親に連絡を取って入社しています。
北海道石狩市・札幌市で電気工事を手がけるS.Eエンジニアの瀬川さんの場合は、もっと生活そのものでした。19歳でこの業界に入り、一度離れた瀬川さんが電気工事の道に戻るきっかけになったのは、25歳の結婚です。そこから一人親方の師匠のもとで2年間働いて独立に必要な資格を取り、個人事業主として再スタートを切りました。
株式会社ディテールキャリアの山田慎さんは、祖父母の農地でした。
「そういえば、あの土地って誰が引き継ぐんだろう」とふと考えたときに、「自分がやったら面白そうだな」と思った
栗本さんも、決め手は数字ではなく人でした。「幼い頃から見てきた従業員の方々がまだ勤めているので恩返しをしたい」「自由にやらせてきてもらった中で唯一の両親への恩返しができる」——そう語っています。
結婚、帰省先の立ち話、祖父母の土地、恩返し。地方に人が戻る施策というと制度や条件の話になりがちですが、12本のインタビューが示しているのは、戻る決断は生活の側から始まっているという事実でした。制度はそのあとの道を舗装するものであって、最初のひと押しをしているのは、たいてい身近な誰かの一言です。
20代で始めた人は、会社の年齢構成ごと変えていた
若くして経営に入った人の記事を読んでいると、途中から話が本人ではなく「まわりの人の年齢」に移っていきます。
瀬川さんのS.Eエンジニアは、法人化してから若手育成に力を入れ、いまは10〜30代の社員が中心となって活躍する会社になりました。工場やホテルなど大規模施設を主な現場としながら、「誰が現場に入っても同じクオリティが出せる」人材育成を重視し、「推し活のための休暇OK」という環境も整えているといいます。
株式会社ミツカルプロの加藤慧大さんは、新卒3年目・26歳で子会社の社長に就きました。現場メンバーの平均年齢は25歳前後。特徴的なのは、若さが役職の上下をあまり作っていないことです。
若手から経営陣に対して「会社としてこうやったほうがいいと思う」という意見がよく上がってくる
しかも、社長の提案が通らないこともあります。加藤さんがオフィス移転の際に「宅配弁当を冷蔵庫に置きましょう」と提案したところ、「健康管理は自分自身でやってくれ」と返されて不採用になったそうです。社長であっても意見は意見として扱われる、という話でした。
静岡発の株式会社This is meは、さらに極端です。代表の原田さんを含め役員が全員同い年(取材時点で33歳)。原田さんは19歳で起業し、静岡で事業を築いてきた人物です。この回に登場した役員の石津拓也さんは、もともと病院で働く理学療法士で、24歳で会社員から独立して栄養指導やダイエット指導を手がけていました。
一方で、年齢構成を「これから変える」段階にある会社もあります。福島でタービンのメンテナンスを手がける有限会社吉田工業がいま最も力を入れているのは、若手職人の育成と採用です。
25歳で入社しても、一人前になるのは35歳
だからこそ、いまのうちから若い世代に技術を継承しなければならない——そういう時間感覚で採用を組み立てています。若い人が入ってくるかどうかではなく、10年後に一人前が何人いるかで考える。この視点は、業種を問わず参考になるはずです。
若い代表が最初に手をつけたのは「見えていなかったものを見る」ことだった
入ったあと何をしたか。これも12本を並べると、はっきりした傾向がありました。多くの人が、まず現状を可視化しているのです。
田中印刷の田中さんは、入社初日に当時の従業員から「この会社、仕事ないよ」と言われ、違和感が1〜2か月続いたといいます。そこで取った行動が明快でした。
それまでノートで管理されていた売上データを、全部Excelに打ち込みました
経費も全部入力して可視化してみると、外注比率が8割以上だったことが分かります。「仕事がない」の正体は、仕事の量ではなく構造だったわけです。数字にしてはじめて、次に何を変えるべきかが決まりました。
This is meの場合は、可視化の対象が地元でした。アパレルを自社在庫で持つのはリスクが大きい。そこで発想を転換し、会社の作業着・ユニフォームに目をつけます。一人あたり約4着支給されるなら、従業員500人以上の会社なら2,000着に届く——最小ロットの壁がクリアできる、という計算です。そして工業地域である静岡県浜松の各社に「いまユニフォームのコストはどうですか」「どこで作っていますか」と聞いて回りました。自社はバングラデシュに工場を持っており、提案してみると実際にコストを下げられることが分かった、という展開です。
地元の産業構造を「聞いて回る」だけで事業の入り口が見つかる。若くして地域に入った人ならではの動き方だと思います。
マルシン石油の渡邊さんが取り組んでいるのは、もっと長い時間軸の挑戦です。燃料を扱う会社としてはかなり珍しく、水力発電所を手がけたいという構想を持っています。この構想には10年かかっていて、それでも「なんとかあと一歩のところまで進んできている」段階だといいます。
香川の郷土料理・しょうゆ豆をつくる3代目、平山社長が見ているのは、地元の外と内の両方でした。
やはり、地域に根ざしてやってきた会社ですので、まずは地元の素材を使った商品をどんどん広げていきたいです
「その文化を絶やすことなく、むしろ自分の代で広げていきたい」「それが結果的に地元の農家さんや、地元の経済への貢献になると良いなと思っています」とも語っています。全国への販路拡大と、地元の農家への還元がひと続きになっているのが印象的でした。
早い承継には「引き継ぎに時間をかけられる」という利点があった
35歳で3代目になった平山社長は、周囲の反応をこう振り返っています。
35歳での承継だったので、周りからも早いと言われますね
ただ、その裏には準備がありました。父には早めに社長を譲りたいという思いがあり、実は2〜3年前から代替わりの話が出ていたといいます。父自身が畑仕事に集中したかったから、という理由も率直です。平山さんは新卒で家業に入り、工場での製造から配送まで一通りを経験したうえで、就任を迎えました。
もともと継ぐつもりがあったわけではありません。
全くありませんでした。大学4年生の時は普通に就活してましたね
食品や自動車、住宅などの営業職を中心に受けていたものの、考えているうちに「だったら家業に入ってもいいんじゃないか」と思って新卒で入社した、という順番でした。
関東商事の栗本さんの就任も、当初の予定より2年早まりました。理由が具体的です。父から言われたのは、思い描いていたよりも早く会社のことを覚えたということ、そして財務の引き継ぎには数年かかるから、自分が元気なうちに引き継いでおきたいということでした。
早く継ぐと苦労が増える、と考えられがちです。ただ12本を読むかぎり、早い承継の実利ははっきりしていました。前の代が現役でいるうちに渡せば、引き継ぎに数年かけられる。日々の業務よりも、財務や取引先との関係のような「渡すのに時間がかかるもの」ほど、この差が効いてきます。
制度から入るルートも、確かにあった
生活の出来事がきっかけになる一方で、制度をうまく使って地域に入った例もありました。
ディテールキャリアの山田さんは、もともと「40歳になってから農業をやる」と決めていたところを、前職の上司の後押しで前倒しします。最初は直接の縁がなかったため、栄村の役場に電話で相談したところ、ちょうど祖父母の家の近くの山間部で地域おこし協力隊の募集が出ていたそうです。
農業を中心に地域支援をするという内容だったので、「実践の中で農業を学んだり、地域を盛り上げたりしたい」と思って始めました
記事のなかでは、地域おこし協力隊に自治体へ半公務員のような形で入る「雇用型」と「委託型」の2種類があることにも触れられています。二拠点生活の実態まで具体的に語られているので、移住を検討している人には実用的な内容です。
琉球アスティーダの早川さんが沖縄で掲げているのは、地域と企業の課題を接続する考え方でした。
強い地域に光を当てるのではなく、弱い地域に光を当てる
地域の課題と企業の課題を結びつけて循環型のモデルを作る、というのが取り組みの中心にあります。
そして神奈川県で3拠点を展開する大松運輸の仲松秀樹さんは、地域のなかでの立ち位置の取り方を示してくれました。2006年、33歳で社長に就任。実は20歳のときに一度入社したものの、若さもあって思うようにいかず退社した経緯があります。そのあと別の業界で働き、家族と暮らしていたところに、もう一度戻ってこないかという話が出て後を継ぐことを決めました。就任後に打ち出したのは「住宅建材に特化した運送会社」という一点突破です。ニッチだけど地域の一番に——その方針が、いまの拡大につながっています。
今回読み返した記事12本
若くして地方の経営に関わった人たちの記事です。気になった業種から読んでみてください。
- 電気工事士の仕事とは。19歳で逃げ25歳で戻った北海道・S.Eエンジニア代表に聞く現場の今(北海道石狩市・札幌市/電気工事)
- 「町残し」とは?北海道浦河町で53年続く神馬建設・三代目が語る理念経営(北海道浦河町/建設)
- 「印刷屋はまだ進化する」100年続く印刷会社が描く、紙×デジタルの共存(富山県入善町/印刷)
- 燃料の需要は2011年がピークだった。山梨のマルシン石油三代目が挑む水力発電(山梨/燃料・エネルギー)
- マイナス196℃からプラス40℃まで——関東商事が支える定温物流の現場(定温物流)
- 株式会社This is meとは?役員全員が同い年、ユニフォームから広げたアパレル(静岡/アパレル)
- 新卒3年目で子会社社長へ。税理士業界の当たり前を変える加藤慧大(ミツカルプロ)(採用支援)
- 有限会社吉田工業とは?福島のタービン屋が語る、200トンの分解と技術継承(福島県/プラントメンテナンス)
- 地域で愛されるしょうゆ豆を全国へ!3代目社長の挑戦(食品製造)
- キャリア支援×農業×地方創生 二拠点から描く「ウェルビーイング×キャリア」のかたち(キャリア支援・農業)
- 沖縄から世界一を!プロ卓球チーム「琉球アスティーダ」早川周作が描く、地域密着スポーツチーム経営の新しい形とは?(沖縄/スポーツ経営)
- ニッチで地域の一番になる。成長を続ける大松運輸が追求するビジネスとその想いとは(神奈川県/運送)
あわせて、家業を継いだ人の話をまとめた「継ぐつもりはなかった」——家業を継いだ地域の経営者12人に共通していたことと、創業の入り口を整理した創業のきっかけは4つの型に分かれる——経営者10人の話を集めてわかったこともどうぞ。
まとめ:地方に戻る決断は、キャリアの話ではなく生活の話だった
12本を読み返して、編集部として整理できたことは3つあります。
1つめは、決断の年齢が20代後半から30代前半に集まっていたこと。 24歳、25歳、30歳、30歳、32歳、34歳。仕事を一通り覚えて自分の裁量が見えてきた頃に、多くの人が進路を決め直していました。
2つめは、その引き金が生活の側から来ていたこと。 結婚、帰省先での立ち話、祖父母の土地、吹奏楽団の団長の一言。事業計画から始まった話は、ほとんどありませんでした。
3つめは、入ったあと最初にしたのが「可視化」だったこと。 売上をExcelに打ち直す、地元の会社に費用の実態を聞いて回る、一人前になるまでの年数から採用計画を立てる。派手な新規事業の前に、まず現状を数えている人が多かったのが印象的でした。
若い人に地域へ来てほしい、と考えている会社や自治体にとって、ここにはひとつヒントがあると思います。条件を整えることも大事ですが、それ以上に効いていたのは、帰ってきた人に声をかけた誰かの存在でした。「ちゃんと親父の仕事を見てるのか」も「お前がやるべきだ」も、制度ではなく人から出た言葉です。
Shikisaiでは、これからも地域で事業を営む方々のお話を伺っていきます。掲載をご希望の企業様、取り上げてほしいテーマがある方は、お気軽にお問い合わせください。
この記事を書いた人

Shikisai編集部
「ありのままの想いが地域と未来を紡ぐ」をコンセプトに、地域で働く経営者の想いと取り組みを取材・発信しているWebメディアです。補助金・認証制度などの記事は、行政機関の公表情報(一次情報)を編集部が確認のうえ執筆しています。
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