「いちばん苦しかった時期」をどう越えたか|経営者・職人12人の話に共通していた“外から来た一言”
Shikisaiのインタビューでは、必ずと言っていいほど「これまでで大変だったことは何ですか」と伺っています。返ってくる答えは業種も年代もばらばらで、正直なところ、まとめられるとは思っていませんでした。
ところが12本を並べて読み返してみると、はっきりした共通点が一つありました。苦しさを抜けた瞬間を語るとき、ほとんどの人が主語を自分にしていないのです。上司の一言、知り合いからの提案、辞める日に看護師さんが言ってくれたこと、納品先で聞いた「こんなの欲しかった」という声。転がりはじめたきっかけは、たいてい自分の外側から来ていました。
そのうえで、そこから何をしたかは人によってまったく違います。この記事では、越え方を編集部なりに5つの型へ整理しました。順番に読んでいくと、「頑張って耐えた」という話がほとんど出てこないことに気づくはずです。
目次
型1:中で変えようとして届かなかった人は、場所を変えていた
兵庫県加古川市で株式会社デイサービスセンターうららかと外事部株式会社を営む住所和彦さんの話は、この型のいちばん分かりやすい例でした。
25歳で老人ホームに就職した住所さんが感じたのは、学校で描いていた理想と、業務をこなすことで流れていく現場との差でした。ユニット改革のリーダーを任され、根本から変えたいと旗を立てたものの、まとめきることができません。在籍3年。振り返りの言葉は率直でした。
ちょっと格好悪く言うと、やっぱり心が折れちゃったんですよね
ここで効いたのが、外から来た一言です。辞めるとき、その老人ホームの看護師から「一人でここを変えていくには理想が強すぎるから、独立しかないんじゃないか」と言われたのだといいます。「こうあるべきだ」と大きな声で言うにはある程度の立場が要る——そう考え直した住所さんは、30歳で起業しました。いま同社の名刺のいちばん上に掲げられている「接遇十一箇条」は、そのときの問題意識がそのまま型になったものです。
神奈川県秦野市で「ベラドンナ・バランスケア」を営む新原真由子さんも、働く場所そのものを変えた一人です。「自宅で最期を迎えたい」という患者さんの意思を尊重できる場所で仕事がしたい——その動機で24時間体制の訪問看護ステーションを立ち上げ、訪問看護師とケアマネージャーと管理者を兼ねました。志と役割は一致していたのに、夜中の出動が続き、休みが取りにくい状況が重なります。出産後、実家が遠く子育てをしながら働く難しさに直面した新原さんは「本当に難しい仕事だな」と実感し、20年続けた看護師から整体師への転身を決めました。
注目したいのは、その後の始め方です。いきなり店舗は借りず、自宅の一室から。しかも看板を出していません。集客は知り合いの紹介と、産後のママたちの口コミだけ。店舗を借りたのは2020年4月、感染予防のために構えたほうがいいと判断してからでした。場所を変えるとき、規模まで一緒に大きくしなかったところに、この人の慎重さが出ています。
兵庫県三田市で移動型の体操教室を営むバンボーキッズスクールの坂東篤さんも同じ道筋でした。別の団体で体操教室の運営を任されるなかで「自分の居場所とは何だろう?」と考えるようになり、自分の理想と現場との差を感じて「自分のスタイルでやってみよう」と独立します。幼稚園や前職のご縁に助けられ、初年度で2教室。いまは車にマットや跳び箱を積んで各園を回っています。
3人に共通するのは、組織の中で正しさを主張しきれなかったことを、自分の能力不足として処理していない点です。主張が通る場所へ移った、という整理の仕方をしています。
型2:いちばん大きく動かしたのは、自分の動き方だった
逆に、場所は変えずに自分の動き方だけを変えた人もいます。
株式会社スイミーの住本祐介さんは、リクルートで14年を過ごしました。本人いわく「なかなか売れない営業マンでした」。チームリーダーになってからも、成績は悪くないのに突き抜けない。チームごとに競う指標では1位から3位までしか表彰されないなか、住本さんのチームはいつも4位、5位、6位、7位あたりにいました。
そこで当時のマネージャーから言われたのが、この一言です。
スミーが突き抜けないから、チームも突き抜けないんだろうね
「その時はすごいショックで」「本当に眠れなかった」と住本さんは振り返ります。それでも思い当たる節があった。原因は自分だ、と受け取りました。そこからの変化をサッカーに例えて説明しているのが面白いところで、それまでは真ん中あたりから前の人にパスを出すようなマネジメントをしていたのを、明らかに前に行くように変えたのだといいます。自分が点を取りに行く。結果はすぐに出ました。「僕が動き出したら、メンバーもより動き始めた」。あの一言をくれたマネージャーには、いまも大感謝だそうです。
横浜元町のフットケアサロン・アプリシエの大島道子さんの場合は、変えたのが「思い込み」でした。21年で大変だったことを尋ねられた大島さんは「あんまりそう思わないタイプで」と前置きしつつ、開業当初の勘違いを明かしています。
お客さんは、店を出せば来るものだと思っていた
会社員から独立したばかりだったから、と本人は説明します。当然そんなことはなく、知ってもらう努力が要ると気づきました。お金をかけられないのでホームページは自作。今のような簡単なツールもない時代に「HTMLって何?」という状態から調べて作ったといいます。それでも振り返りは「今思えば楽しかった」でした。
苦しかった時期を「相手や環境のせい」で終わらせなかった二人ですが、二人とも自分を責める話にはしていません。原因を自分に置いたほうが、打ち手が自分の手元に増える——そういう実利的な受け止め方に見えます。
型3:「できない前提」をやめると、別の扉が開く
制約が消えないなら、制約ごと組み替えてしまう。そういう越え方もありました。
音楽ユニットKAO=Sとして活動する山切修二さんと川渕かおりさんの話は、この型の象徴です。2018年、川渕さんは舞台本番で左膝の靭帯を完全断裂します。その舞台はやり切ったものの、翌週にはニュージーランドのフェス出演が控えていました。山切さんはキャンセルを提案しますが、川渕さんの判断は違いました。
この状態だからこそできるステージ
松葉杖でステージに上がり、片脚で立って剣舞をやり切ります。ライブは大喝采で、その松葉杖のステージ写真はフェスのSNSで国際女性デーのキービジュアルに採用されました。帰国後の手術と療養期間も、復帰公演のホール会場を先に予約するかたちで進めています。この様子がSNSで話題になり、復帰公演までのドキュメンタリーがBS番組として放送されました。
川渕さんの言葉はこうです。
できない前提ではなく、その状況で何をやれるかを考える。そこに新しい表現と道が生まれると思ってます。
そして山切さんが後から気づいたことも、この記事にとっては重要でした。動く仕事ができなかった時期に、川渕さんは「ストーリーを書く」というもう一つの扉を開いています。翌年から自分で脚本を書いた舞台作品を演出・制作するようになり、その公演は年々規模を広げているといいます。動けなかった期間が、次の職能を一つ増やしていたわけです。
福井県福井市の藤間商事株式会社・藤間泰光さんも、この型に入ります。先代が立ち上げた葬儀幕加工を支えていた需要は2000年頃から変化し、新事業の模索は7〜8年続きました。「継続的な案件はなく、“どうしよう”という日々でした」。そのさなか、33歳で大きな病気を経験し、長いリハビリを経ています。
その藤間さんが2020年に始めたのが、オリジナルプリント事業でした。きっかけは、知り合いに相談して受けた提案です。ここでも動き出しは外から来ています。
納品したときに「こんなの欲しかった」とすごく喜ばれ、今まで経験したことのない喜びでした。
繊維事業は中間業者との取引で、直接エンドユーザーと接する機会がありません。その声が「衝撃だった」と語っています。もっとも、立ち上げ時期は楽ではありませんでした。プリンターを入れたのが10月末、Tシャツの需要が落ちる冬場です。
仕事がないのにプリンターのインクだけ減っていく音がして辛かったです。
いまは地域のスポーツ団体や公民館行事の依頼が中心で、1枚から対応しています。「今やりたいことをやろう」「楽しくやろう」「喜ばれる仕事をしよう」——病気を経て仕事観がそう変わったと藤間さんは話していました。
型4:一度小さくしてから、新しい柱を立て直す
事業そのものの形を組み替えた人たちもいます。
株式会社ティーズコンサルティングの吉岡励努さんが代表に就任したのは2021年11月。前職で経営企画を担当していた吉岡さんは、同社のM&Aを自ら手掛け、そのまま代表になりました。当時の心境は「振り返ると、結構無謀なことをしたなとは思っている」。「ITって何だ」というところからのスタートだったといいます。
3年で最も大変だったこととして挙げられたのは、代表が変わると環境そのものが変わっていく、その立て直しでした。数字がその大きさを物語ります。
- 社員は30名ちょっと。うちもともといた社員は3名
- 売上の約80%が、この3年で立ち上げた新規事業
社名の由来でもある技術コンサルティング事業は引き継いだうえで縮小し、SES事業を完全にゼロから立ち上げて3年。パーソナリティが「一度壊してゼロから作り上げてきた3年」と言い換えると、吉岡さんは「それに近いですね」と答えていました。ちなみに同社は売上も原価も利益も社員に公開しており、掲げる理念は「エンジニアファースト」ではなく「人生ファースト」です。
九州で体験型ツアーを手がける旅行会社SQUAREの安達社長も、事業の柱を組み替えました。独立して20年以上、大きな出来事や転機を尋ねられた安達さんの答えは明快です。
やっぱりコロナが一番大きかったですね。
旅行業界が受けた影響のなかで「私たちも事業を見直しをせざる得なくなりました」と語っています。そこで軸に据えたのが、視察旅行——いわゆる「学べるツアー」でした。自治体や地元企業と組み、農家に宿泊するアグリツーリズムや6次産業化の現場を訪ねるツアーを企画しています。
安達さんは、この見直しをもっと長い変化の中に置いて説明していました。航空券と宿泊だけのツアーはどうしても料金勝負になり、WEB予約が当たり前になった30年で「旅行会社の存在意義」は変わっていく。だからこそ旅行の内容そのものに創意工夫が要る、と。苦しい時期を、以前から見えていた課題に手をつける機会として使ったという整理です。
型5:何も変えない、という越え方
一方で、動かさないことを選んだ人もいます。この型が一番少なく、そして一番はっきりしていました。
神奈川県鎌倉市で無添加のシフォンケーキ専門店を営む鎌倉しふぉんの青井聡子さんは、苦労した話を聞かれると「すぐに忘れちゃうんですよね(笑)」と返す方です。そのうえで、売上が下がる時期には周りから「シフォン以外の商品も作ってみたら」という助言をもらうことがある、と明かしています。それでも答えは変わりませんでした。
どんなにどん底に落ちたとしても今まで上がってきました。「決めたらそれ一本」です。
理由もはっきりしています。違うことを始めればシフォンがおろそかになる、という一点でした。青井さんはこうも振り返っています。「毎日同じことを同じように同じ味でというのが一番難しいことなのかもしれません」。
慶応元年(1865年)創業の瀬戸酒造店で2018年に醸造を再開した森社長も、迷ったときに「絞らない」判断をしています。創業から1年目は、営業活動をしても取引に至らないことが多かったといいます。お酒づくりの経験がないなかで森社長が決めたのは、杜氏への一任でした。「とにかく美味い酒を作ることだけを考えてくれ」。すると杜氏の技が多彩すぎて、純米吟醸だけで8種類できると言われ、そこから選んでくれと求められます。
酒のことが分からず8種類から選べなかった森社長は、全部作ることに決めました。酒蔵としては非常に珍しい種類の多さだそうです。そのうえで杜氏に「いつどんな時に飲みたい酒か」を聞き、その答えに沿って売り方を設計しています。分からないことを分かったふりで絞り込まなかったのが、この判断の勘所でした。
そして番外編のような一人が、店舗開発コーディネーターの西村恒男さんです。宅配ピザチェーンに移ったとき、いきなり「年に200店くらいできますか」と聞かれました。西村さんの感覚はコンビニ基準——一人で2か月に1店舗できれば合格、つまり年6店舗ほどです。それでも物件開発なら情報さえ集めればいけるのではないかと考え、「まあ、できるんじゃないですか」と言ってしまいました。
本人いわく「後から大変だった」。結果として最初の半年で必死に結果を出し、その会社で7年を過ごしています。コンビニ時代に作った開発のベースがあったからこそ信用を得られた、という振り返りでした。先に約束してしまったことが、自分を引き上げたという珍しいパターンです。
12人に共通していたのは、越えた瞬間の主語だった
改めて並べると、越え方は5つに分かれました。場所を変える/自分の動き方を変える/制約ごと組み替える/柱を立て直す/何も変えない。どれが正解ということはなく、置かれた状況によって効く手が違うだけです。
そのうえで、冒頭に書いた共通点にもう一度戻ります。きっかけの一言や一場面は、ほぼ全員が自分の外から受け取っていました。
- 住本さんは、マネージャーの「突き抜けない」という一言
- 住所さんは、辞める日に看護師からもらった「独立しかないんじゃないか」
- 藤間さんは、知り合いへの相談と、納品先の「こんなの欲しかった」
- 大島さんは、店を出しても人は来ないという現実そのもの
- 川渕さんは、キャンセルを提案した相方とのやりとり
- 青井さんは、「シフォン以外も作ったら」という助言(そして、それを断るという返し方)
「一人で歯を食いしばって耐えた」という話が一つも出てこなかったのは、取材した編集部にとっても意外でした。藤間さんが最後に語った「妻、スタッフ、地域の方に本当に助けられてきました」という言葉は、その意味でこの12本を代表しているように思います。
苦しい時期の渦中にいると、外の声は雑音に聞こえがちです。ただ12人の話を読むかぎり、状況を変えたのはたいてい、そのとき少し受け入れがたかったほうの一言でした。
Shikisaiでは、地域で事業を営む方々のインタビューを継続して掲載しています。ここで紹介した12本はいずれも全文を公開していますので、気になった方の話は元記事からお読みください。
この記事を書いた人

Shikisai編集部
「ありのままの想いが地域と未来を紡ぐ」をコンセプトに、地域で働く経営者の想いと取り組みを取材・発信しているWebメディアです。補助金・認証制度などの記事は、行政機関の公表情報(一次情報)を編集部が確認のうえ執筆しています。
ご紹介
Profile