つなぎのつもりの仕事が、本業の材料になっていた|Uターン・二拠点で働く12人まとめ
地元に戻る。あるいは、都市と地方を行き来しながら働く。そう聞くと、戻った先に仕事が用意されていて、そこから新しい生活が始まる——という絵を思い浮かべがちです。
Shikisaiのインタビューとラジオ記事から、生まれ育った土地に戻った人と、二つの土地を行き来しながら働いている人の記事を12本選んで並べてみました。北海道小樽、北海道浦河、三重県四日市、千葉県南房総、千葉市、大阪、岩手、福井、兵庫県淡路島、神奈川県鎌倉、沖縄県石垣島、そして横浜と長野県栄村の二拠点。業種も、システム開発から酒造り、寿司、びわ、印刷、不動産、ケーキまでばらばらです。
読み終えて一番はっきりしたのは、戻った先に会社がそのまま待っていた人は12人中5人だけだということでした。残りの7人は、戻る前後に仕事を組み立て直しています。そして面白いのは、そのときのつなぎの仕事が、あとから本業の材料になっていたことです。
目次
戻った先に会社が待っていたのは、12人のうち5人だった
12本を「戻った先に就く仕事が決まっていたか」で分けると、5人と7人に割れました。
決まっていたのは、家業や工房がそのまま待っていた5人です。石垣島で1949年創業の請福酒造を継いだ3代目・漢那さんは大学卒業後すぐ実家に戻って家業に入り、30代前半のときに突然「来月から社長やりな」と言われて代替わりしました。淡路島の寿司店・寿司一の岩井文吾さん、大阪のセントウェル印刷・中井社長、北海道浦河町の神馬建設・神馬充匡さん、鎌倉彫 山水堂の小泉五郎さんも、戻る先に会社がありました。
残りの7人は違います。戻る前後に、あらためて仕事を探し直しています。しかもそのうち何人かは、いまの仕事とまったく関係のない職に一度就いていました。
岩手でファイナンシャルプランナーとして独立した藤原代表の説明が、いちばん端的です。
16年間都市銀行に勤務し、地元に帰るタイミングで転職しました。転職先はソフトウェアの営業と畑違いの世界だったので、自分の今までの経験を生かせる何かを始めたいと考えていました
帰るタイミングで就いた仕事は、16年積んだ銀行の経験とつながっていませんでした。そこから不動産の営業と保険を学び直し、銀行員時代の住宅ローンの経験と組み合わせてFPの資格を取って起業する——という順番をたどっています。
つなぎのつもりの仕事が、いまの商品の材料になっている
ここが今回いちばん面白かったところです。戻ったあとに就いた「とりあえずの仕事」が、そのまま捨てられずに残っていました。
千葉でカイワレ大根や芽ねぎを育てる有限会社ヤマ吉・池田吉康さんは、農家の四男として生まれ、商業高校を出て航空自衛隊へ進みました。実家で父と兄がやっていた肥育牛を大きく増やす計画があり、手伝ってほしいという話が出たため、自衛隊を辞めて帰郷します。ところが、その計画が先延ばしになってしまいました。行き場を失った池田さんが勤めたのが、材木屋です。
この寄り道が、のちの人生を決めます。材木屋の仕事で鉄管を扱う会社へ納品に行ったとき、ベニヤ板を3センチほどに切って紙に貼り、鉄管を包装している現場を見ました。面白いと思って売り込みに行った池田さんに返ってきたのが、この言葉でした。
「特許でも取って売り込みに来い」
当時の千葉県では竹が山を荒らして困り物になっていました。ベニヤ板の代わりに竹を薄くして同じように使えば、強度もあるし計画的な竹の管理もできる。そう考えて自分で勉強し、特許を申請しています。この経験が、のちに芽ねぎの特許を日本とアメリカで取得することにつながりました。
三重県四日市市で不動産を手がける丹頂不動産(丹頂ガス 不動産事業部)の丹羽智彦さんも似た形です。名古屋のカメラ量販店からイオンへ移り、サプライチェーンマネジメントやイオン銀行に携わっていました。本社は千葉です。地元へ戻るきっかけになったのは、父親が認知症になったことでした。三重へ帰ったあと、地元に営業所を構える住友不動産販売で仲介の実務を学び、そのうえで丹頂ガスに不動産事業部を立ち上げています。ガス会社に不動産事業部があるのは、丹羽さんが来てから始まったからでした。いまは取引のおよそ7割が、住宅も店舗も原則建てられない市街化調整区域だといいます。
北海道小樽市で夫婦2人の会社・夢プロを立ち上げた本間真一さんも、戻ってから職を探した一人です。札幌でフリーランスとして働いていたところ、取引先2社の仕事がなくなり、親に「戻ってこい」と言われて小樽へ戻ります。ところが小樽にシステムの仕事はありませんでした。職探しの末に見つけたのは家庭教師の派遣の仕事。それもしばらくして終わったあと、病院のSE募集に応募して50歳で採用されます。この病院時代の立ち位置が独特でした。基幹システムで面倒を見切れない部分の相談を各部署から受けて解決する、本人の言葉で「システムの駆け込み寺」です。57歳で立ち上げたいまの会社が掲げているのも、小樽市内・後志エリアの企業に直接訪問して現場を見るという、まさにその延長にある売り方でした。
戻る引き金は、たいてい自分の外から来ていた
「なぜ戻ったのか」の答えも、思っていたより自分発ではありませんでした。
浦河町の神馬さんは、もともと「田舎の町を出たかった」人です。進学の際も建築ではなく土木を選んでいます。転機は、休みに地元へ帰ったときでした。神馬建設で家を建てたことのあるおじさんに、こう声をかけられます。
「お前、神馬の息子だよな」「ちゃんと親父の仕事を見てるのか」
続けて言われたのが「俺はこういう家が欲しい、とお前の親父に頼んだら、それ以上のものを作ってくれるんだ」という言葉でした。自分がしたかったのは、そういう顔の見える仕事だったのだ——と気づいたのが、戻る決め手になっています。
鎌倉彫 山水堂の小泉さんは、兄が別の店を継いでいたこともあり、家を出て一般企業に就職していました。それでも父から手伝わないかというオファーがあったときには「もう迷わず帰ってきちゃいました」と振り返っています。理由は仕事の中身ではなく、土地でした。
鎌倉彫や鎌倉自体がやっぱり好きで、愛着はあるので
小樽の本間さんの「戻ってこい」も、池田さんの「手伝ってほしい」も、丹羽さんの家族の事情も、同じく外からです。自分で決めた人を探すほうが難しいくらいでした。
例外は、期限と撤退ラインを先に決めていた人
そのなかで、自分から区切りを引いていたのが大阪のセントウェル印刷・中井社長です。父と母と弟がやっていた家業がうまくいっていないと分かっても、しばらくは東京で働いていました。踏み切った理由の説明が具体的です。
大手でずっと働いていると、そこの働き方に慣れてやめるにやめられなくなる気もしていましたので、3年で切りをつけて実家に戻ろうと。それでダメなら会社を畳んで、またいくらでも再就職すればいいという気持ちで家に戻ったんです
「3年」という期限と、ダメなら会社を畳んでまた再就職すればいいという撤退ラインが、戻る前に用意されています。戻ったあとは給料が出ず、他にアルバイトに行っていたとも語っていました。区切りを決めておくことと、戻ってから苦労しないことは別の話です。
淡路島の岩井さんの場合は、期限ではなく順番でした。料理の専門学校を出たあと京都の日本料理の店に就職し、3〜4年の下積みをしています。包丁を握らせてもらえるのは最後のほうだったといいます。そして戻り方について、はっきりこう言っています。
親父の店では学ばず、修業を終えてから帰って寿司を教えてもらいました
二拠点の中身は、往復の頻度と家賃2つだった
12本のなかで唯一、いまも二つの土地を行き来しているのが株式会社ディテールキャリアの山田慎さんです。会社の拠点は横浜、住まいは長野県栄村。人事支援・キャリア支援の仕事と農業を並行しています。
憧れで語られがちな働き方ですが、山田さんの説明は生活費の話から始まりました。
やっぱりお金がかかるというところで頓挫してしまう人がいることです。(中略)家賃も2つかかりますし、移動費もかかりますし
頻度も具体的です。平均1〜2週間に1回往復し、基本的に平日は栄村、休日は横浜で過ごす。収入は農業と人事系の仕事で半々くらい。地域おこし協力隊には自治体に入る「雇用型」と「委託型」の2種類があり、山田さんは委託型で、3年間は一定の収入が得られるためこの割合になっている——というところまで話しています。
入り方も参考になります。栄村とは直接の縁がなかったため、まず役場に電話で相談したところ、ちょうど祖父母の家の近くの山間部で地域おこし協力隊の募集が出ていた、という経緯でした。
戻った先で、収入源を1本にしていない
二拠点の山田さんが農業と人事で半々なのと同じことが、Uターン・移住の側でも起きていました。
千葉県南房総で無農薬の房州びわを育てる「きしの屋」の穂積秀和さんは、自動車整備士から移住してびわ農家に転身した人です。令和4年・5年と2年連続で皇室献上びわに選出されていますが、働き方は兼業でした。
今は兼業で仕事をしているんですよ。びわは実働が半年で、あと半分は農協の農機具を修理する部門で整備をやっています
びわの実働は半年。残り半分は農協で農機具の整備をしています。前職の整備の腕が、そのまま移った先の生活を支える形になっていました。目標は圃場を広げて働く人を増やすこと、と語っています。
小樽の夢プロも、本間さんのシステム開発・ITコンサルティングと、10年以上の経験を持つ奥様のボディケア・揉みほぐしのサロンという二本立てです。一つの土地に賭けるほど、一つの収入源に賭けない。そういう組み方が並んでいました。
離れていた側だから見える条件もある
戻った土地の条件を、そのまま前提にして商品を決めた人もいます。石垣島の請福酒造・漢那さんの言い方は率直でした。
我々は石垣島に住んでいるので、一番日本で競争条件が悪いと思っています。その中でうちのお酒をどう選んでもらうか
その答えが、県外の人が求めているだろうものを作って楽しんでもらう、という方針でした。同社は100年前まで沖縄で普通に飲まれていた芋酒を「IMUGE.」として復活させています。沖縄では米が取れず、さつまいもが主食だった——という歴史の側から商品を立て直した形です。漢那さんはこうも言っています。
伝統は守るものではなく、伝統を使って新しいものを作ること
福井で野尻ケイクを営む株式会社Orijinの始まりも、外で働いた時間が起点でした。製菓専門学校を卒業して関西のホテルに就職した野尻恵子さんが、白砂糖やバター・乳製品の使われ方に疑問を持ち、体と食材の関係を考えるようになったのが最初です。その後地元に戻り、結婚・出産を経て、健康に気を遣いながら美味しいケーキを食べたいという思いから店を始めています。
編集部の整理:戻り方は4つの型に分かれていた
12本を読んで、Shikisai編集部としては次の4つに整理しました。
- 待っている仕事に戻る型……家業や工房がある。請福酒造、寿司一、セントウェル印刷、神馬建設、山水堂。戻る先は決まっているぶん、いつ戻るか・何を学んでから戻るかが論点になる
- 探し直す型……戻ってから職を探す。夢プロ、丹頂不動産、ヤマ吉、いわて住宅FPオフィス。つなぎの仕事を挟むのが前提で、そこで得たものがのちの本業に効いてくる
- 兼業で立てる型……収入源を複数持って土地に根を下ろす。きしの屋の農家+農協整備、夢プロの夫婦2事業
- 行き来する型……どちらかを選ばない。ディテールキャリアの横浜×栄村。家賃2つと移動費という実費を、収入の組み方で吸収している
番外として、野尻ケイクのように外で働いた時間そのものが商品の起点になる形もありました。離れていた期間は空白ではなく、戻ったあとに使う材料になっています。
戻ることを考えている人に向けて言えることがあるとすれば、戻った先の仕事が決まっていないのは普通だ、ということでしょうか。12人のうち7人がそうでしたし、そのときのつなぎの仕事は、思っているよりあとまで効いてきます。
なお、戻った年齢の分布については地元に戻ったのは30歳前後だった|地方で若くして経営を担った12人に共通していたことで、戻る前の職種が家業にどう持ち込まれたかは家業を継ぐ前の仕事は、無駄になっていなかった|異業種から入った13人の取材まとめで、継ぐ側の心境は「継ぐつもりはなかった」——家業を継いだ地域の経営者12人に共通していたことで、それぞれ扱っています。
今回読んだ12本
Uターン・移住・二拠点で働く人の記事です。気になった土地や業種から読んでみてください。
- 小樽で夫婦起業。57歳でシステム開発会社を立ち上げた本間真一(夢プロ)(北海道小樽市/システム開発)
- 「町残し」とは?北海道浦河町で53年続く神馬建設・三代目が語る理念経営(北海道浦河町/建設)
- 市街化調整区域とは?売れないと諦めた土地を扱う丹羽智彦(丹頂不動産)に聞く(三重県四日市市/不動産)
- スーパーの小袋カイワレ大根を最初に作った人。有限会社ヤマ吉・池田吉康さんに聞く芽物野菜(千葉県/農業)
- 2年連続で皇室献上びわに選果!移住・転身した「きしの屋」園主が語る仕事の喜びと目標(千葉県南房総/農業)
- 家づくりの前に考えたい人生プランに寄り添うファイナンシャルプランナー(岩手県/ファイナンシャルプランナー)
- 大阪で創業68年の老舗印刷会社・セントウェル印刷株式会社が変わらずに守り続けているもの(大阪府/印刷)
- 淡路島の寿司「寿司一」とは?吉本を目指した青年が継いだ、地産地消の握り(兵庫県淡路島/飲食)
- 身体はよろこび、心は満たされる野尻ケイクのケーキ。健康を第一に考えた素材選びと製法とは?(福井県/菓子製造)
- 海外からも注目の「鎌倉彫 山水堂」!小泉五郎氏が抱く地元鎌倉への思いと使命とは?(神奈川県鎌倉市/工芸)
- 「伝統とはただ守るものではない。伝統から新しいものを作り出すのだ。」請福酒造が再発信する石垣島の伝統的芋酒・IMUGE.の魅力に迫る!(沖縄県石垣島/酒造)
- キャリア支援×農業×地方創生 二拠点から描く「ウェルビーイング×キャリア」のかたち/株式会社ディテールキャリア・山田慎(横浜×長野県栄村/キャリア支援・農業)
※本記事は、Shikisaiに掲載されたインタビュー記事・ラジオ記事をShikisai編集部が読み直し、テーマ別に整理したものです。発言の引用は各記事の表記に基づいています。移住・二拠点に関する制度(地域おこし協力隊の雇用形態や各自治体の支援内容など)は年度によって変わるため、実際の手続きは必ず各自治体の窓口にご確認ください。
この記事を書いた人

Shikisai編集部
「ありのままの想いが地域と未来を紡ぐ」をコンセプトに、地域で働く経営者の想いと取り組みを取材・発信しているWebメディアです。補助金・認証制度などの記事は、行政機関の公表情報(一次情報)を編集部が確認のうえ執筆しています。
ご紹介
Profile