100年続いた会社ほど、中身を入れ替えていた|創業100年以上の8社が変えたもの・変えなかったもの
「100年続いている会社」と聞いて、まず何を思い浮かべるでしょうか。
変わらない味。昔ながらの製法。代々受け継がれた道具。だいたいそのあたりだと思います。
Shikisaiのインタビューとラジオ記事から、創業が100年以上前だと本人が語っている会社を8本選んで並べてみました。奈良の精肉店、浅草の菓子店、大阪の製薬会社、京都の料理旅館、福島の酒蔵、奈良の寿司店、神奈川の酒蔵、北海道の農園。業種も規模も土地もそろっていません。
並べてみて、最初にはっきりしたのはこういうことでした。
8社のうち、「商品そのものを変えていない」と言い切ったのは1社だけだったのです。
残りの7社は、主力商品が入れ替わっていたり、火の入れ方を変えていたり、扱う範囲を狭めていたり、そもそも一度つくるのをやめていたりします。100年続いた会社は、変えなかったから続いたのではありませんでした。変えた場所は会社ごとにバラバラで、むしろ変えなかった場所のほうが共通していたというのが、8本を読み終えたあとの実感です。
この記事では、8社が「どこを入れ替えて、どこを据え置いたか」を5つの型に整理します。継ぐ人の心情のほうは家業を継いだ人たちのまとめで、職人の技術の中身は職人の仕事のまとめで扱っているので、ここでは会社の側の変化だけを見ていきます。
目次
型1:つくるものは同じで、つくり方だけ入れ替えた
一番わかりやすいのがこの型です。看板に出ている商品は昔から同じなのに、その裏側の手順が別物になっている。
京都・東本願寺の門前町にある料理旅宿井筒安は創業187年。七代目当主の井筒安次郎さんは、戻ってきたあとに料理の技法も茶道の作法も建物の決まりごともすべて覚え直したうえで、こう言い切っています。
「守ったら、それはもう過去のものなんです」
古い料理帳には、砂糖を多く使った記録が残っているそうです。当時は贅沢として成立していた味でも、いま同じ量を使えば重く感じられてしまう。火の入れ方についても、安次郎さんはこう話しています。
「昔は炭火で焼くのが正しいとされてましたけどね、今はスチームコンベクションでふわっと火を入れたほうが美味しい時もあるんです」
安次郎さんの言葉で印象に残ったのは、伝統を川にたとえた一節でした。「止めたら濁りますけど、流れ続けるときれいなんですよ」。守ることと止めることを、はっきり別のものとして扱っています。
北海道三笠市の床岡農園も同じ型です。5代目の床岡達也さんが継いだ農園はおよそ100年以上続いていて、つくっているのは米と赤肉メロン。品目は変えていません。変えたのは栽培方法のほうで、農業歴22年目の床岡さんが「BLOF理論」(生態系調和型農業理論)を取り入れたのは5年前、この年で6作目だといいます。
ここで床岡さんが引いている線が、とても正確でした。同農園は有機栽培の認証を取得していないので、「有機栽培をしています」とは言わない。やっていること自体は有機肥料を使い化学的なものを削減する栽培だと説明したうえで、言葉のほうは使わない、という立て方です。100年続けてきた看板に、取っていない資格の名前を足さない。この慎重さ自体が、長く続く会社の作法のように見えました。
型2:つくり方は据え置いて、売るものを足していった
逆向きの型もあります。手順は動かさずに、並べる商品の種類だけを増やしていくやり方です。
奈良の平宗は、創業が江戸時代末期の1861年。ただし平井孝典社長によれば、創業時につくっていたのは柿の葉ずしではなく「あゆ寿司」でした。米の乳酸発酵を利用して熟成させる熟鮓で、京都御所に年2回献上していたといいます。献上できたのは当時7家だけだったそうです。
つまりこの会社は、看板商品そのものが創業から160年のあいだに入れ替わっている。柿の葉ずしを最初に商品化したのも、鯖しかなかったネタに鮭を足したのも自社が最初だと平井社長は語ります。
「元々は寿司ネタも鯖しかなかったんですが、それじゃ面白くないだろうということで鮭を商品化したのも弊社が最初です」
いまはローストビーフのネタもあり、季節ものを入れると20種類を超えるそうです。それでも平井社長が事業について語る言葉は、ネタの話とはまったく別の場所を指していました。
「儲かるかどうかではなく地域に根ざし、雇用を守り文化を守る」
足していくのは商品で、据え置くのは判断の基準のほう。この分け方は、あとで見る他の会社にも共通して出てきます。
型3:扱う範囲を、あえて狭めた
増やすのではなく、減らして続けた会社もあります。
奈良のうし源本店は創業明治19年。愛知で食肉の仕事をしていた創業者・源松が、奈良の有力者に「地場産業を興さないか」と口説かれて移ってきたのが始まりだといいます。130年以上続く老舗の5代目である瀧口社長が挙げたのは、2000年初頭のこういう決断でした。
「A5ランクの肉しか販売していないから全ての肉がおいしいんです。2000年初頭に決めた方針ですが、当時A5ランクしか扱わないという判断は画期的でもありましたが、無謀にも思える判断でした」
商品の幅を広げるのではなく、切り捨てる。長く続いた会社ほど守りに入りそうなものですが、実際にはその逆が起きています。
そして瀧口社長は、100年企業の話としてはいちばん本質的だと感じた一言を残しています。
「創業以来続く「モノ」よりも先代の「思いを」継承することが大切ですね」
モノと思いを分けて、継ぐのは後者だと言い切る。この記事で8社を並べて見えてきた構造を、当事者の言葉でそのまま説明してもらったような一節でした。
型4:主力商品そのものが、途中で入れ替わった
型2よりもさらに大きく動いた会社があります。大阪の森下仁丹です。
1893年に創業者の森下博が「森下南陽堂」を立ち上げたのが始まりで、2023年2月に130周年を迎えました。社名にもなっている「仁丹」は、森下雄司社長によれば1980年代ごろまで80年以上売れ続けた商品です。
「ややもすると仁丹だけ作っていけばいいかという雰囲気も一部にはありました」
そこから液体の仁丹をつくれないかとカプセルの研究が始まり、継ぎ目のない「シームレスカプセル」の技術が生まれます。いまの主力商品は、その技術でつくられているものです。技術の応用先の説明がわかりやすかったので引いておきます。
「例えばガムの中にプチっと噛むとフレーバーが出るものがありますが、あれもシームレスカプセルが味をハッキリ出すことに役立っています」
興味深いのは、この技術が社内の思いつきからではなく外から来ている点です。森下社長は「多くは取引先様から『こんなことが出来ないか?』という相談から技術が発展してきた経緯があります」と話しています。食品業界からの相談に応えて新技術ができ、それが別の分野に転用されていく。100年企業の変化が、自社の計画表ではなく取引先の困りごとから始まっているというのは、他の7社を読むときにも効いてくる視点でした。
一方で、創業者・森下博が掲げた「原料の精選を生命とし……広告による薫化益世を使命とする」という方針は動いていません。街中に住所を示す仁丹マーク入りの「仁丹町名看板」は、いまでは京都を中心に残り、地域の団体がフィールドワークで全数把握に取り組むまでになっているといいます。森下社長の言い方はこうでした。
「先輩たちが作ってきた130年の歴史がありますし、その歴史を知って安心してお買い求めいただくお客様も多いので、そこを裏切ることは絶対にしない」
商品は入れ替えた。方針は裏切らない。この二層構造が、森下仁丹の130年の形でした。
型5:変え続けること自体が、家業になっていた
ここまでの4つは「何を変えたか」の話でしたが、変えることそのものが代々の仕事になっている会社もあります。
福島県郡山市の笹の川酒造は、酒蔵免許を宝永7年(1710年)に取得し、分家して明和2年(1765年)から酒造りを始めた蔵です。10代目蔵元の山口哲蔵さんが語ったのは、増えていった免許の歴史でした。
「様々な免許を取得し始めたのは、私の祖父なんです」
戦争の影響で米が不足し清酒づくりが難しくなったとき、理化学研究所が開発した合成清酒の製造に東北で一番に手を挙げたのがこの蔵で、そのためのアルコールの免許を取得したといいます。終戦後も米不足が続くなか、昭和21年(1946年)にはウイスキーの免許を取得しました。
「『時代に合わせて酒造りをしよう』という流れは、祖父の頃から変わっていません。何もせずにじっとしているのではなく、常に『何かしよう』というのが笹の川酒造のスタイルです」
近年も、冷凍機の講習会に招かれて参加したその場で導入を決め、冷凍酒のシリーズを立ち上げています。「変わらない伝統」の中身が「変わり続けること」だという、いちばんねじれた形がここにありました。
番外:一度止まっても、また始められる
8社のなかで、ひとつだけ他と構造が違う会社があります。
神奈川県開成町の瀬戸酒造店は慶応元年(1865年)創業ですが、自家醸造を長く中断していました。再開したのは2018年。しかも動かしたのは代々の当主ではなく、大手コンサルティング会社で橋梁の設計をしていた技術者の森社長です。地方創生と官民連携の新規事業を開発する責任者に異動になったタイミングで、開成町の元町長から酒蔵再生への協力のオファーを受けたのがきっかけだったといいます。
酒づくりは未経験。そこで森社長が杜氏に伝えたのは、一行だけでした。
「とにかく美味い酒を作ることだけを考えてくれ」
このオーダー自体が珍しいのだと、あとから聞かされたそうです。設備やタンクのサイズも「合理性をあまり考えずに」決めた。蔵付き酵母を用いて伝統銘柄「酒田錦」も復活させています。
100年企業の話は、つい「途切れずに続いた」ことを前提に語られがちです。けれど瀬戸酒造店を並べると、名前と場所と蔵付きの酵母が残っていれば、途中で止まっていても再起動できることがわかります。続くということは、一日も休まなかったという意味ではありませんでした。
そして、1社だけが「変えていない」と言い切った
最後に、冒頭の1社です。
浅草雷門のそばにある紀文堂総本店は創業明治23年。瓦煎餅と人形焼の店で、5代目の手塚雄介さんの言葉は、ここまでの7社とはっきり違いました。
「商品の味は、変えられないし、変えるつもりもないです。味を変えないで130年やってきていて、攻めの姿勢は全くないです」
理由も語られています。おいしいかどうかを判断するのはお客様であり、「美味しくない」と言われるよりも「紀文堂さん味が変わったよね」と言われるほうが悲しい、と。変えない理由が、守るためではなくお客さんの記憶のためだという立て方です。
「継ぐ」とは何かという問いへの答えも、ひときわ短いものでした。
「自分が5代目社長になってするのは『ただ次の代に渡す』だけです」
そしてもう一つ、8社を読み終えたあとに効いてくる一言があります。
「『老舗』って自分たちでいうものではなくて、呼ばれるものだと思っています」
編集部の整理:変わったのは商品、変わらなかったのは判断の基準
8社を並べ直すと、変えた場所はこう散らばっていました。
| 会社 | 創業 | 入れ替えたもの |
|---|---|---|
| 井筒安(京都) | 187年前 | 火の入れ方・献立(毎朝市場で決める) |
| 床岡農園(北海道) | 100年以上 | 栽培方法(5年前にBLOF理論) |
| 平宗(奈良) | 1861年 | 看板商品(あゆ寿司→柿の葉ずし)とネタの数 |
| うし源本店(奈良) | 明治19年 | 扱う範囲(2000年初頭にA5のみへ) |
| 森下仁丹(大阪) | 1893年 | 主力商品(仁丹→カプセル技術) |
| 笹の川酒造(福島) | 1765年 | 免許の種類(合成清酒・ウイスキー・冷凍酒) |
| 瀬戸酒造店(神奈川) | 1865年 | 経営主体と再開の時期(2018年) |
| 紀文堂総本店(東京) | 明治23年 | ——(味は変えないと明言) |
バラバラです。共通点は見当たりません。
ところが「変えなかったもの」の欄をつくると、様子が変わります。うし源本店の「モノよりも思いを継承する」、平宗の「儲かるかどうかではなく地域に根ざし、雇用を守り文化を守る」、森下仁丹の「そこを裏切ることは絶対にしない」、紀文堂の「ただ次の代に渡す」。どれも商品の話ではなく、迷ったときにどちらを選ぶかという判断の基準の話でした。
ここから編集部として言えることが、2つあります。
ひとつは、100年企業の「変わらない」は、モノの話ではなく基準の話だということ。味やレシピを指して言っているのだと思って読み始めると、当の本人たちはほとんどそこを指していません。うし源本店の瀧口社長が言った「今先代がいたら何を考えてどう行動するのかということを想像する」は、レシピの継承ではなく判断の再現です。基準さえ渡っていれば、商品のほうは時代に合わせて何度でも入れ替えられる。実際、8社中7社がそうしていました。
もうひとつは、変えた方向が会社ごとに正反対でも成り立っているということ。うし源本店は扱う範囲を狭め、平宗は広げました。井筒安は道具を新しくし、紀文堂は何も新しくしていません。長く続くための正解が一つあるわけではなく、それぞれが自分の基準に照らして別々の答えを出している、というのが8本を通読しての結論です。
長く残ったものを別の用途に作り替えていく話は捨てるはずのものを価値に変えた取り組みのまとめでも扱っています。会社ではなくモノの側から見ると、また違う整理になるのが面白いところです。
最後に、紀文堂・手塚さんの一言をもう一度置いておきます。「老舗」は自分で名乗るものではなく、呼ばれるもの。8社の誰一人として、自分の会社を長寿企業として語ってはいませんでした。語っていたのは、明日も店を開けるために今日どこをいじるか、という話のほうでした。
この記事を書いた人

Shikisai編集部
「ありのままの想いが地域と未来を紡ぐ」をコンセプトに、地域で働く経営者の想いと取り組みを取材・発信しているWebメディアです。補助金・認証制度などの記事は、行政機関の公表情報(一次情報)を編集部が確認のうえ執筆しています。
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