創業130周年を迎えた老舗企業・森下仁丹が地域社会にもたらした「意外な価値」とは?


森下仁丹株式会社 代表取締役社長 森下 雄司 YUJI MORISHITA

2023年2月に創業130周年を迎えた森下仁丹株式会社。明治時代から積極的な広告戦略を駆使し「仁丹」という商品を世に広めた同社ですが、いまや地域の文化を形成する企業と言われるほどになっています。そんな森下仁丹株式会社の森下雄司社長にお話を伺いました。

ー創業130周年を迎えられ、非常に深い歴史があるとは思いますが、改めて創業の経緯などご紹介いただけますでしょうか。

森下社長 当社は2023年2月に130周年を迎えました。1893年に創業者の森下博が「森下南陽堂」を作ったのが始まりです。森下博はもともと広島県福山市鞆の浦の出身なのですが、15歳で大阪に出てきて丁稚奉公をしていました。その後、25歳の時に妻と従業員2名で「森下南陽堂」を立ち上げています。大阪には「道修町」という地域があり、ここは江戸時代から医薬品で栄えた街なのですが、そこを行き来する中で「これからは医薬品が大事になる」と思い、別に学校を出たわけでも専門の勉強をしていたわけでもなかったようなのですが、薬種商として創業しています。

創業者の森下博は「日本の広告王」と称されることもありますが、創業当初より「原料の精選を生命とし、優良品の製造供給に進みては、外貨の獲得を実現し広告による薫化益世を使命とする」という方針を掲げていました。福沢諭吉の書籍をよく読んでいたようで、そこに広告の重要性が説かれていたことから、広告を重視する方針を掲げたと聞いています。

事業活動のための広告が「社会の共有価値」にまで昇華

ー森下仁丹の広告は、いまや文化財とも言われるほど認知が広がってきていますよね。

森下社長 はい、金言広告とか浅草の仁丹塔とか、飛行機からビラを撒くなんていうことも昔はやっていました。その中でも「仁丹町名看板」というものがありまして、街中に住所を示す仁丹マーク入りの看板を立てていました。今では戦争中に空襲がなかった京都を中心にしか見かけることができないのですが、もともとは当時の人々が目的地にたどり着くのに苦労していた悩みに応えようと掲げ始めたものです。それが、地域の皆様の生活に溶け込んで、いま京都では「京都仁丹樂會」様という団体が、京都の市中に点在する町名看板をフィールドワークで全数把握しようと努めてくださったり、文化セミナー等のイベントで町名看板をPRしていただいています。

ーまさに「広告による薫化益世」を表すエピソードですね。

森下社長 CSR(企業の社会的責任)という言葉があります。「金言広告」などもそうですが「広告を出すなら、人々の役に立つ広告を出す」ということが、これまで社会的責任を果たすことに繋がっていました。「仁丹街中広告」はそれが昇華して、CSV(共通価値の創造)になってきたといえるのかなと。事業のために行う広告活動が、社会の価値を作った例と捉えています。

人々の生活に入り込んだ大ヒット商品「仁丹」

ー当時の斬新な広告戦略も印象的ですが、多くの人に愛用された「仁丹」はどのような経緯で生まれたのでしょうか?

森下社長 仁丹はもともと「懐中薬」として発売されました。戦時に台湾の現地の兵士が、丸い薬をポケットに入れて持ち歩いているのを見て、いつでも服用できるようにしたものです。発売当時は総合保健薬という打ち出し方でした。当時は医療水準も高くなく、疫病のコレラも流行していましたので、多くの方に受け入れられたのだと思います。仁丹には独特の風味があって、1950年の戦後あたりからはエチケット・口臭予防の分野でお使いいただく方が非常に増えました。だからその時の宣伝も、例えば「ダンスを誘う前に仁丹を食べて一緒にダンスを踊りませんか?」というような打ち出し方をしていましたね。

ー時代に合わせて、お客様側の用途も変わっていったのですね。

森下社長 そうですね。あとはバブル時代はサラリーマンの人が普段持ち歩くものとして「ペンと手帳と仁丹」みたいなイメージもありました。「お客様にお会いする前にさっと口に入れる」とか。今では口臭予防系の商品はたくさんありますが、当時はそこまで多くなく、そこで多くの人に使っていただけるようになったのかなと思っています。

特許技術を活用した新商品開発に注力

ー一方で、現在の主力商品は仁丹から移り変わってきていますよね。ここはどのような変遷を辿ってこられたのでしょうか?

森下社長 1980年代ごろまでは、仁丹が80年以上売れ続けていて、本当に国内で皆様に知っていただいていたので、ややもすると仁丹だけ作っていけばいいかという雰囲気も一部にはありました。ただ、同時にさまざまな製品作りは行っていたんです。体温計の製造や、傷当て材などですね。また仁丹の改良もたくさん行ってきました。梅仁丹、グリーン仁丹などなど。そこからカプセル化技術に注目し、液体の仁丹を作れないかとカプセルの研究を開始したのです。このカプセル化の技術で製造しているのが、現在の主力商品のビフィーナです。

ー特許も取得されているシームレスカプセルの技術ですね。この技術にはどんな特徴があるのでしょうか?

森下社長 カプセルというと、普通上下に別れて、内容物を蓋をするように閉じ込めると思います。弊社のシームレスカプセルは、内容物を閉じ込める際に継ぎ目をなくすことができます。これにより、中身が漏れ出てしまったりすることがなくなります。例えばうちの「ビフィーナ」はビフィズス菌の製品ですが、ビフィズス菌は本来腸に直接届けたいわけです。それが一層しかないカプセルだと胃で溶けてしまうかもしれない。弊社はシームレスでかつ複数層構造のカプセルを作っていますので、胃酸でビフィズス菌を溶かすことなく、直接腸に届けることができるようになる。この技術の応用でいろんな製品ができます。例えばガムの中にプチっと噛むとフレーバーが出るものがありますが、あれもシームレスカプセルが味をハッキリ出すことに役立っています。

ーそうした技術の発展も目指して、日々取り組まれているのですね。

森下社長 もちろん自社の製品の価値を上げるために取り組む側面もありますが、多くは取引先様から「こんなことが出来ないか?」という相談から技術が発展してきた経緯があります。食品業界のお客様から受けた相談にお応えしようと必死で頑張って新しい技術が出来たら「これは医薬品で使えるのでは?」という発想が生まれ、そこから発展していってる部分が大きいかと思いますね。

新しいパーパスは「オモロい技術と製品」づくり

ーさまざまな産業に通ずる根幹の技術を持たれているからこそ、1つの技術革新が大きな価値を産むわけですね。今後も新しい技術、新しい商品を次々開発していく方針なのでしょうか?

森下社長 そうですね、新しいものを追求していきたいと思います。実は130周年に当たって新しい会社のパーパスを策定したんです。「思いやりの心で、オモロい技術と製品で、一人に寄り添い、この星すべてに想いを巡らせ、次の健やかさと豊かさを、丹念に紡いでゆく。」というものです。もしかしたら他でもできるかもしれないことを追いかけるよりは、うちしかできないことをやろうと。それが世の中でお困りの方が一人でもいて、お役に立てるんだったら、その方のためになるものを作ろうという想いで作ったパーパスです。やはり先輩たちが作ってきた130年の歴史がありますし、その歴史を知って安心してお買い求めいただくお客様も多いので、そこを裏切ることは絶対にしない。その中で、自分たちならではの面白さを追求していきたいと思っています。

ー「オモロい」というワードがとても印象的なパーパスだなと思いました。やはりそこは「大阪人として..」ということでしょうか?(笑)

森下社長 それはありますね(笑)社員も大阪の人間が多いです。弊社は本社が「玉造」というところにあります。創業の地は別の場所ですが、玉造という地名の場所で「丸い」薬を「作って」いるというのもいいなと思っています。今は工場は枚方の方に移っていますが、当時仁丹を作る際、薬品の独特な臭いが工場から出ていたんです。「工場から異臭」と文字だけ読むと、ニュースになってもおかしくないような話に見えると思うんですが、その臭いが地元の人たちも「当たり前」に思ってくださっていたような環境です。中華料理屋の近くで中華の香りがするみたいな感覚で、本当に地元に溶け込んでいたなと。

ー京都の看板の話もそうですが、創業以来の理念が堅持されてきたからこそ、仁丹がある風景が当たり前になってきているわけですね。少し話は変わりますが、そのような歴史ある企業を率いる重圧はかなりのものがあるのではないでしょうか?

森下社長 そうですね、うちは兄がいましたので、普通に兄が継ぐんだろうなと思っていました。私は銀行に勤めていたのですが、兄がアメリカで会社を立ち上げて、そっちをやると。それで回ってきたというのが正直なところです。会社に入ってから知ることがたくさんありましたね。やっていく中で先輩たちが作ってきた歴史を知れば知るほど、一緒に働いている仲間や、新入社員のことを知れば知るほど、この会社を進めて行かなければという思いが強くなっていきました。私自身が社長になったのは4年半ほど前です。それより前は業績的にも厳しい時代もあったのですが、前社長の尽力もあり、非常にいい状態で会社を引き継ぐことができました。なので、前向きなことに集中して取り組んでいける状態ですね。

ーありがとうございます。最後に森下社長がいま持たれているビジョンをお聞かせください。

森下社長 我々は医薬品だとか、ヘルスケアの分野で事業としてやっていて、特に薬というものは、ご病気だったり体調が悪い方を良くするものなので、我々の商売が続いて大きくなるということは、困っている人のためになるだろうと思っています。だからこそあえて、どんどん売上を増やしたり、新しい商品を作って、もっと拡大をしていくべきだと考えています。それから会社の中を見ると、今400人近い仲間がいますが、人数が500人、600人と増えていけば、同じ思いでいろいろなことに挑戦できる仲間が増えますので、会社の規模を大きくするっていうのが大事なことかと思っています。

編集後記

今回の森下仁丹様のインタビューで非常に興味深かったのは、商品や企業の認知拡大のために出した過去の広告が、いまや美術品・文化財の領域まで価値が向上しているという点です。これは一朝一夕に得られる評価ではなく、長年、薫化益世という理念を体現しながら、地域や社会に貢献してきた森下仁丹様だからこそ成し得たことではないかと思います。また、シームレスカプセルのお話など、歴史の中で積み上げてきた技術が発展し、新たな価値を持つ商品を実際に生み出してきたからこそ、今後「オモロい」商品がどんどん生み出されていくであろう未来が鮮明に想像できます。と言いつつも、個人的には銀粒の仁丹のパッケージが渋くて、意外にも若い世代に受けるのではないかと密かに期待をしています。そんな森下仁丹の商品はオンラインショップでも購入できますので、気になる方はぜひアクセスしてみて下さい。

Profile

森下仁丹株式会社 代表取締役社長

森下 雄司 YUJI MORISHITA