職人の世界の「実はそうだったのか」12選|技術の差が出るのは、広い平面ではなく“角”だった
Shikisaiではこれまで、ものづくりや工事の現場に立つ方々にお話を伺ってきました。読み返して気づくのは、外から見て「たぶんこうだろう」と思っていたことが、中の人の話ではまるごとひっくり返る場面が何度もあるということです。
なかでも編集部がいちばん驚いたのは、埼玉県さいたま市で左官業を営む株式会社プラスプレッドの石井秀行さんの一言でした。左官の壁は素人目には機械で仕上げたように平らに見えます。あれだけの面を人の手で均すのが最難関だろう——そう思って伺ったところ、返ってきたのは逆の答えでした。
そして技術の差が出るのは、実は広い平面ではありません。
平面は何度も手を加えれば綺麗に、平らになっていく。難しいのは角で、角をまっすぐに出す技術は年数を要するのだといいます。いちばん目立つ場所ではなく、いちばん見落としがちな場所に技術が宿っている。この記事は、そういう「言われてみないと分からない事実」を12本のインタビューから集めたものです。
目次
素材の常識が、いつのまにか更新されていた
ガラスは何度でも溶かして再生できる素材——多くの人がそう思っているはずです。ところが名古屋市で創業67年のガラス工事会社を継いだ津田硝子株式会社の津田慎介さんは、いまはそうとも言えないと語ります。
断熱性能を高めたガラスや、割れたときに飛び散らないようにした安全性の高いガラス——こうした機能性を持ったガラスは、いまリサイクルできず廃棄処分となってしまっている
昔の板ガラスは基本的にすべてリサイクルできました。性能を上げたことが、そのまま再生の難しさに直結している。津田さんが会社の倉庫で「やたらとガラスが多い」と気づいたときも、それは現場へ配送されるものではなく、建設途中で仕様変更になり、発注済みなのに「もう要りません」と言われて戻ってきたガラスでした。作られたのに何も果たさずに役目を終え、しかも会社は材料代を払ったうえで廃棄費用も払うことになります。
同じ「捨てられるガラス」に、まったく別の角度から向き合っているのが東京都墨田区の廣田硝子株式会社です。2021年から廃棄ガラスの再活用研究を始めた同社の転機は、狙って作ったものではありませんでした。窯の端に残ったガラス片が熱によって偶然「まん丸で透明な粒」になった瞬間だったといいます。そこからリサイクルガラスのアクセサリー「白雫(hakuRe)」が生まれ、いまでは廃棄ガラスを建築用のガラスタイルとして使う取り組みまで進んでいます。すみだSDGsアワード2025で評価されたのも、この「本業の中から生まれた問い」でした。
そして同じ墨田で1916年からガラスびんを手がける大川硝子工業所の大川岳伸さんからは、業界の外にはまず届かない事実を伺いました。
ガラスびんでオリジナルの形状で作ろうとすると、金型に莫大な費用がかかるんです。
だから同社は新しい形を起こすのではなく、もともとあった地球びんなどの価値の部分を再構築し、パッケージをリデザインするという道を選びました。「つくらないでつくった」のが「Familiarシリーズ」です。ちなみに大川さんによれば、日本のガラスびんは容量がきっちり収まり、キャップとの嵌合も良く、リサイクル率も高い。世界的に見てもハイクオリティなのだそうです。
「伝統的な作り方」は、今日も更新され続けている
老舗ほど昔のやり方を守っている、というのも思い込みかもしれません。1912年創業の和菓子店・新正堂の渡辺仁久さんは、小豆の炊き方についてこう語っています。
伝統的には小豆を一晩水に浸けてから炊く方法が使われてきました。しかし、うちでは沸騰したお湯に直接小豆を入れています。
小豆の品種は常に改良されており、それに伴って調理方法も変える必要がある——というのが理由です。看板商品の最中も、皮の水分量を減らすことでしっとりではなくパリッと仕上げ、食べたときに上唇に皮がくっつかないようにしてあります。渡辺さんはうまくいかなかったものも含めて、これまでに約120種類の商品を開発したといいます。
福島県郡山市で250年以上続く笹の川酒造の山口哲蔵さんのお話には、日本酒好きでも数字までは知らない話が出てきました。同社の「いち」は“福島県一辛いお酒”を謳った日本酒ですが、
一般的な辛口のお酒は日本酒度が+8~10ぐらいなのですが、「いち」は20以上あります。
しかもこのお酒、最初からロックで飲むことを想定して造ったわけではありません。初年度は辛すぎたため一年間寝かせ、商工会議所のハンズオン事業でデザイナーから「ロックにするとすごく美味しい」と助言されて展開方法が決まったのだそうです。冷凍酒の「瞬香秀凍」シリーズも、飲食店向けの冷凍機講習会にたまたま招かれて即決したもので、取材当時の前年の時点では同社を含め3社しか冷凍酒を展開していなかったといいます。
奈良の郷土料理を160年以上受け継ぐ平宗の平井孝典さんに至っては、創業時に柿の葉ずしを作っていなかったという話から始まりました。
弊社はもともと「あゆ寿司」を作っていたんです。当時の寿司は、日持ちをさせるための「熟鮓(なれずし)」と呼ばれるものでした。米の乳酸発酵を利用して熟成させるのが特徴です。
いまや定番の鮭も、もとは鯖しかなかったところに同社が最初に商品化したもの。季節ものを入れるとネタは20種類を超えるそうで、近年はローストビーフまで加わっています。「伝統」と呼ばれているものの多くは、どこかの代の誰かが増やしたものだ、という当たり前が見えてきます。
ミリ単位の世界は、見えないところにある
現場の精度の話も、聞くたびに想像を超えてきます。前出の津田硝子・津田さんによれば、ガラスを取り付ける枠を「サッシ」といい、そこに収めるときの余裕は10ミリあるかないか。それでいて、大きなものは1枚で1トンに達します。機械を使いつつも最後は人の力で収めていく作業を、津田さんは「本当に至難の技」と表現しました。
茨城県笠間市で鉄筋組立加工を手がける阿内工業の阿内達彦さんも、同じミリ単位の世界にいます。鉄筋組立加工とは、建築資材を自社工場内で組み立てた状態で納品する業態です。阿内さんはアメリカで10年ほど寿司職人をしていた異色の経歴の持ち主で、その対比が面白いことを言っています。
寿司職人をやってた時は、いかに同じクオリティで出すか、ということが重要だったのですが、毎回新しい鉄筋を依頼されるので、毎回新しい作品を作るイメージなんです。
型枠に計算通りスポッと一発で入ったときが「快感」で、ミリ単位でズレるとやり直しになる。難しかったり工数がかかって割に合わない依頼も断らずに全部引き受けるのが自分たちの流儀だ、とも語っていました。
精度そのものではなく「見えないこと」を仕組みで解こうとしているのが、愛媛県松山市で外壁塗装・屋根リフォームを手がける株式会社匠PAINTの西市匠さんです。リフォームは頻繁に経験するものではなく、金額も比較しづらい。だから同社は寸法計測の値をそのまま写真に記載して提案書に添付し、屋根など見えない場所の作業もお客様がスマホで確認できる現場カメラを導入しています。「ここまで公開している業者は少ないと思います」という言葉が、この業界の“見えなさ”を裏返しに教えてくれます。
「機械が作っている」と思われている仕事ほど、人の手が入っている
いちばん痛快だったのが、大阪でとんかつなどの冷凍食品を手がけるショウエイフーズ株式会社の山田至亮さんのお話です。冷凍食品には“簡易的”“大量生産”というイメージが付きまといますが、山田さんはこう言い切ります。
実際、手作りよりも手間がかかってます(笑)。原料の肉もチルドの状態で仕入れて、そこから熟成させて、筋切りやカットも全部人の手でやってるんです。
そのうえで、冷凍だからこそ実現できる価値として山田さんが挙げたのが均一性でした。毎日何百店舗分も同じ味・同じ食感で出す必要があるチェーンにとって、「どの時間、どのスタッフが作っても同じ品質」は手作りでは届きにくい水準です。試食した取引先から「……え、これ冷凍なん?」と驚かれたところから取引が広がっていったといいます。
富山県で自動車ガラスとカーフィルムを手がける松井板硝子店の足立一男さんからは、雪国ならではの事実を教わりました。
雪の重みで割れる。溶けて割れる。
さらに冬場はスタッドレスタイヤが石を噛み、それが後続車に当たって飛び石でガラスを割る。結果として売上が夏と冬で半分ほど違ってしまうのだそうです。この季節変動をならすために社員が中心になって立ち上げたのがカーフィルム事業で、しかも最初から一般向けに広げるのではなく、品質要求の高い法人——富山を代表する改造車メーカーの光岡自動車やトヨタ——で鍛えてもらう方針を取りました。
同社は人の育て方でも“職人の常識”を手放しています。従来の「自分の背中を見て後輩を育てる」やり方では若い人が「何をやっているのか分からない」ままになる。そこで足立さんが取った手は、全員にスマートフォンを持たせ、画像を見せながら伝えることでした。訓練もすべてZoomに切り替えたといいます。
一人前になるまでの年数は、職種でこんなに違う
「修行何年」という話は、業種ごとに驚くほど幅があります。同じ問いを別々の方に伺った結果を並べてみると、輪郭が見えてきます。
| 職種 | お話しくださった方 | 一通りできるまで |
|---|---|---|
| 左官 | プラスプレッド・石井秀行さん | 5〜6年(独立は15年後の30歳) |
| 外壁・屋根塗装 | 匠PAINT・西市匠さん | 2〜3年(入職は16歳) |
| ガラス工事 | 津田硝子・津田慎介さん | 他社で3年間の修行を経て自社へ |
| 鉄筋組立加工 | 阿内工業・阿内達彦さん | 5年間修行して独立 |
石井さんは15歳のとき、友達の兄が勤めていた会社から「バイトしてみないか」と誘われてこの世界に入りました。当時は「左官」という言葉すら知らず、初めて現場を見ても何をやっているのか全く分からなかったといいます。西市さんは16歳で、電話帳の上から順に電話をかけ、基準は「給料が良いこと」だけ。仕事内容にはこだわらなかったそうです。入口はずいぶん偶然で、そこからの年数が職種の性格を映しています。
石井さんによれば、左官業界は親の代からの二代目・三代目というパターンが多く、ゼロから入って独立するのは同世代では比較的レアな存在なのだとか。ちなみに採用の問い合わせで多いのは、テレビで見る芸術的な左官仕事に惹かれて連絡してくる人。石井さんはそこで正直に伝えるそうです。あれは左官のなかでも特殊な領域であり、実際には肉体労働的な面も当然ある、と。
職人の世界の入口は、確実に増えている
最後に、経歴の話をひとつ。大阪府柏原市で金属・樹脂部品のフライス加工を手がける有限会社平野製作所の平野暁彦さんは、町工場を継ぐ前、大阪大学の博士課程でDNAの研究をしていました。細胞のDNAを組み替えて、いかにしてがんにならないかを追求するテーマです。薬剤師の資格を持っていたことから、調剤薬局のパートと父の町工場を1週間で半分ずつという兼業から入り、いまに至ります。
その平野さんが語る部品加工の姿は、研究者の目そのものでした。
加工方法にしても、素材にしても、分からないことばかりで、いまでも知らないことがたくさんある。
そして分からないものが目の前に出てくると、どうしても調べてしまう。調べずにはいられない。「自分でテーマを決めて、自分で調べて解明していく」ことに惹かれた学生時代の姿勢が、そのまま町工場で続いていました。
前出の阿内さんはアメリカの寿司カウンターから鉄筋へ、津田さんは都内の別業界から名古屋のガラス工事へ、そして平野さんは研究室から町工場へ。「職人=子どもの頃から一本道」というイメージは、少なくともShikisaiが伺ってきた範囲では当てはまりません。
12本を並べて見えた、共通する一点
今回集めた「実は」を並べてみると、方向はばらばらなのに、根っこがひとつだけ重なっていました。外から見えている部分と、技術が効いている部分がずれているということです。
左官なら広い平面ではなく角。ガラスなら透明感ではなく、機能を上げた結果としての再生の難しさ。冷凍食品なら機械化ではなく、チルドで仕入れて熟成させ、筋切りまで人の手でやる工程。塗装なら仕上がりの色ではなく、屋根という見えない場所をどう見せるかという仕組み。びんなら形ではなく、形を変えないという判断。
だから外の人間が現場のすごさを一目で言い当てるのは、そもそも難しい。逆に言えば、聞けば必ず出てくるということでもあります。この記事に登場した方々は、いずれも聞かれて初めて「実はね」と話してくださった方ばかりでした。
Shikisaiでは今後も、ラジオ番組の記事を含めて各地の現場のお話を伺っていきます。近くにある工場や工事会社に、まだ誰も聞いていない「実は」が眠っているかもしれません。
※本記事は、Shikisaiが公開してきたインタビュー・ラジオ記事の内容をもとに、編集部が再構成したまとめです。引用は各記事の表記に基づき、発言は趣旨を損なわない範囲で整理しています。数字・実績は各記事の取材/収録時点のものです。
この記事を書いた人

Shikisai編集部
「ありのままの想いが地域と未来を紡ぐ」をコンセプトに、地域で働く経営者の想いと取り組みを取材・発信しているWebメディアです。補助金・認証制度などの記事は、行政機関の公表情報(一次情報)を編集部が確認のうえ執筆しています。
ご紹介
Profile