未経験・独学でシェフまで駆け上り、バレンタイン期間では売上14万個!川崎麻生区の洋菓子店「イルフェジュール」


有限会社イルフェジュール 代表取締役 オーナーシェフ 宍戸 哉夫 SHISHIDO CHIKAO

先代が営んでいた洋菓子店の土地で、”未経験独学”から自らの力で「イルフェジュール」を開店し、バレンタイン期間では手が回らなくなるほどの人気を博す「蒸ショコラ」を生み出したオーナーシェフ宍戸さんにお話を伺いました。

ー元々はお父様が洋菓子店をされていたということで、やはり子供の頃からお父様のお仕事ぶりを見て、パティシエの道に進まれたのでしょうか?

宍戸シェフ:実は、全然パティシエになる気はありませんでした。高校生の時にラグビーをやっていて、スカウトで大学にも入ったので学生時代はラグビーばっかりでした。勉強を全然してこなかったので、普通のサラリーマンになっても得はないだろう…と思い、親がやっていた道の方がいいのかな、くらいな簡単なイメージでパティシエの道に進みました。

ーパティシエの方といえば、専門学校などを出ているイメージが強いのですが…どのようにパティシエの道に進まれたのでしょうか。

宍戸シェフ:はい、私は専門学校も出ていないので、4大卒してその後は初めから下働きで現場に入り、最初は銀座、その後2年間は喫茶やサロン、レストランなどで修行しそれから厨房に入りました。

ーはじめは銀座の名店「レカン」で修行されたとのことですが、未経験からでは相当ご苦労もあったのではないでしょうか?

宍戸シェフ:支配人をやっていた方が父の知り合いでしたので、幸運にも知り合いづてに働かせていただいていました。4大卒で入っているのは自分くらいなもので、専門学校を卒業した年齢が下の子たちが先輩で…その中敬語使いながら…大変でした…(笑)

ただ、完全に実力主義の現場なので、苦労も多かったです。ただ私は今まで体育会系でやってきて、人付き合いは得意だったのでその点についてはシェフから引き上げてもらったり、体育会系のノリで周りとうまくやりながら乗り越えられました。

ーまさにラグビーで鍛えたチームワーク力が活きたということですね。どのくらい修行されていたのでしょうか?

宍戸シェフ:下働きが2年で合計3年半くらいになります。

そこからカリスマシェフと言われる、7人のカリスマのうち1人のシェフの下で3年働き、次のところではシェフになりました。

異例の速さでシェフへ昇格

ーその期間でシェフになるというのは異例の速さではないでしょうか?

宍戸シェフ:正直、異例の速さだと思います。6年半でシェフになる人はなかなかいませんでした。普通は10年はかかるかなと。100人くらい部下がいる大きいところでところでいきなりシェフをやりました。

ー100人…いきなり多くの部下を抱えてシェフをされたんですね…。勢いに乗っていた時期だと思いますが、そこから独立して開店するに至った経緯をお聞かせいただけますでしょうか。

宍戸シェフ:都内でシェフをやってみて、シェフになれると言うことは一握りなんですが、父から名前を変えて、土地もあるしやってみたらどうだといってもらい、開店する事になりました。

スタートしてからは自分のやり方でやりはじめました。ですが元々は父がやっていた洋菓子店なので、父がやっていた頃の顧客と、私自身が培ってきたものは全く違うもので、父が作り上げて来た物を求める声が思ったより多く、苦労しました。思うように売り上げは伸びなかったです。

ーその苦しい時期を乗り越えられたきっかけはなんだったのでしょうか?

宍戸シェフ:スタートからチョコレートのホールケーキを出していました。カリスマパティシエは「クラシックショコラ、ガトーショコラが私のスペシャリティです。」とよく言うんです。ただうまいと思ったことがなかった、逆にまずいなぁと思っていたんです(笑)

そこで”美味しく変えられないかな”と思いました。

皆さんココアを普通使うところを、自分なりに考えチョコレートに変えたらすごく美味しくなり、「コレだ!」と思ったんです。

それでも初めは思うように売り上げは伸びなかったんです。

ちょうどその時期にネット販売の会社から依頼を受けていて、通販用のプリンを作ったり色々している中で、たまたま出会った銀座の宝石会社の人から「うちでも販売して欲しいんだが、御社で作っている商品を一口サイズで売ってくれないか」と依頼を受けたんです、結局、2年かけてやっと完成させました。一口サイズは需要があったのか、百貨店の企画に出て販売したら一日300個くらいずつ売れたんです。

ただ、その銀座のお店がEC事業から撤退してしまい、商品だけを引き継ぎました。引き継いでから当初はなかなか売れませんでしたが、バレンタインの2週間前にコックコートを着て試食を店頭で配ってみたら毎日毎日50個、100個、200個と販売数が増えていき、バレンタイン当日には3万個売れました。

翌年のバレンタインには6万個売れて…バレンタインヒット商品No.1になりました。

そこから一気に転換した、という感じです。

今はバレンタインの2週間で14万個売れています。

2年越しの開発で特許を取得

ー2年間かけて一口サイズを作ったとのことですが、並大抵の粘り強さではないと思います。どのあたりが苦労しましたか?

宍戸シェフ:ケーキ屋さんの普通の考え方としては、卵白は泡立てメレンゲにするのが普通なんです。日本のお菓子はふわっと軽くするというセオリーがありますが、それをやると爆発してしまい商品にならなくて…。そこをどうしたらいいか試行錯誤したところ、卵白とチョコレートを乳化する、ということに成功しまして。

日経に載った時に某大手に真似されそうになったが、特許を出願し回避しました。

ー特許をお持ちなんですね!ここまでのお話を伺ってしまうと、一度は食べてみたくなりますね。宍戸シェフは川崎市のマイスターにもなられています。地域での取り組みについてお聞かせいただけますか?

宍戸シェフ:川崎市の広報活動など取り組ませていただいています。それと去年からは地産地消です。川崎市のJAの方々から頂く”柿”、”川崎なし”、”宮前メロン”、などを使ってアイスなどの商品を作っています。こういった取り組みは増やしていきたいです。また、イルフェジュールという看板商品がありまして、、生のオレンジを使うのですが、オレンジの皮を自家製でオレンジピールにし、本来捨ててしまうところも蒸ショコラのオレンジ味として美味しく仕上げています。そういった点でSDGsなども意識しています。

あとは包材を去年から有料化しました。有料化するだけだと心苦しいのですが、ケーキを丸から四角に変えました。四角にするだけでデッドスペースが減るので箱使用を30%減らせます。そのことで包材費が半分くらい減りました。

ー確かに丸い形から四角にすれば箱の面積を減らせますね!これはせっかくなら世の中のケーキ屋さんみんな取り組まれると良いですね。

宍戸シェフ:そうですね。業界として取り組めるものは、広げていきたいですね。

本日は有難うございました。今後更なるご発展を祈念しております。

編集後記

未経験独学から始め、爆発的なヒット商品を生み出すまでのストーリーには宍戸シェフの熱い信念、イルフェジュールへの強い想いが感じられました。今後も多くのヒット商品に期待です。

イルフェジュールはカフェもオープンされましたので、カフェタイムにぜひ足をお運びください。オンラインショップでも購入できますので、お試しください。

Profile

有限会社イルフェジュール 代表取締役 オーナーシェフ

宍戸 哉夫 SHISHIDO CHIKAO