今回のゲストは株式会社アトリエ望月堂・代表取締役の久保田清史さん。ウェブ・ゲーム・動画制作のデジタル事業と、自身でDIYした道場で教えるテコンドー教室というアナログ事業、まさに「二つの顔」を持つユニークな経営者です。 東京での約20年の経験を経て盛岡に戻った久保田さんが痛感したのは、地方と首都圏の「情報格差」。インターネット時代でも、未だに3年から5年の情報遅れがあると語ります。この現状を打破するため、自身の多様な「ものづくり」の経験を活かし、盛岡に「新しい刺激やきっかけ」をもたらしたいと日々活動しています。 ゲームクリエイターとしてのルーツを持ちながら、武道家としても地域に貢献する久保田さん。その活動は、盛岡に新たな可能性の扉を開き、未来を担う人材が「外に羽ばたいていけるような」育成を目指す地域活性化への深い情熱に支えられています。この「異色の二刀流」が盛岡の未来をどう動かすのか、ぜひお聞きください。
目次
ウェブ制作と、テコンドー教室
久保田清史さんは、盛岡で株式会社アトリエ望月堂の代表取締役を務めています。
もともとは東京で約20年働いた経験を活かし、ウェブ・ゲーム・動画の制作を行うために立ち上げた会社でした。
ところが今、事業はそれだけではありません。
- テコンドー教室
- シルクロードをテーマにしたカフェ(一時期テストケースとして運営)
- 空手やボクシングは「ストイックにできるわけがないし、すぐ辞めるだろうな」
- カポエイラは「リズム感がないとダメだろうな」
やりたいことは他にもあったものの、やらなければいけないことを優先するため、アイデアは寝かせているそうです。
高校受験に失敗した1年間で、やりたいことが見つかった
久保田さんのキャリアの出発点は、挫折でした。
高校受験に一度失敗している。
その浪人の1年間に、やりたいことが見つかります。あるゲーム雑誌でゲームを紹介している場面を見て「あっ、これだ」と閃いた。
ゲームクリエイターになりたい。
盛岡の高校を卒業後、東京の専門学校へ。ただし、いきなりゲームクリエイターになれるわけではないと考えます。そこで取った戦略が現実的でした。
企画・絵・音・プログラム。このうち自分が一番できるのはどれか。
選んだのは絵、つまりCGでした。
最初は大手電機メーカーでPCサポートの仕事に就き、そこを退職してCGの学校へ。そして同じく大手電機メーカーのデザイン部門でプロダクトデザインの仕事をしながら、仕事の基礎を固めていきます。
結果として10年近くかかりましたが――
最初の目標だった「ゲームクリエイターになる」を達成することができた。
なぜテコンドーだったのか
テコンドーとの出会いは、まったく別の理由からでした。
デザイン会社で働いていた頃、パソコンを使いすぎて肩や肘を痛め、運動不足を感じたのがきっかけです。
会社の近くに、空手・テコンドー・ボクシング・カポエイラのジムがありました。そこからの消去法が、実に人間らしい理由でした。
残ったのがテコンドーでした。
そして始めてみたら、いつの間にかハマってしまいます。入会は21世紀になった直後。以来、なぜか辞められずに今も続いている――「歴だけは長いですね」と久保田さんは笑います。
盛岡に戻ってきた理由
ゲームクリエイターを辞めた後は、それまでの経験を活かしてPCや携帯向けのウェブ制作・アプリ制作を行っていました。
転機は8年ほど前。親が亡くなり、残された父親も体調を崩し始めます。
これは戻らなければいけない。
自分の中でも一区切りがついたタイミングだったこともあり、盛岡に戻って会社を立ち上げました。
使われていない家を、自分でDIYして道場にした
ウェブの仕事を盛岡でするのは自然な流れです。しかし、なぜテコンドー教室まで開いたのか。
理由は2つありました。
1つは現実的なもの。パソコン関係の仕事だけで生活できればよかったが、仕事がいつでもあるわけではない。
もう1つが「せっかく東京で体験してきたことを、みんなにも知ってもらいたい」という思いでした。
そして条件が揃っていました。実家に使われていない家がもう一軒あったのです。
そこを整理すれば自宅道場にできる――そう考え、練習ができる程度まで自分でDIYして作り上げました。
「作りたかったのは、ゲームではなく“もの”だった」
ウェブと道場という、一見バラバラな2つ。その原動力を問われた久保田さんの答えが、この回の核心でした。
ゲームクリエイターになり、ウェブ系をやるなかで、なんとなく感じ始めたことがあったといいます。
自分はゲームを作ることではなく、ものを作ることが好きなんじゃないか。
だから、今まで経験してきたこと、想像してきたこと、作りたいものを形にしていった。その結果が現在の2本柱です。
テコンドー道場という「アナログ」と、パソコン関係の仕事という「デジタル」。
地方は情報が3〜5年遅れている、という話
戻ってきて感じたことを尋ねられた久保田さんは、高校時代に担任から言われた言葉を引きました。
地方は首都圏から情報が3年から5年遅れている。
そして久保田さんの実感では、インターネットが発達した今でも似た状況が続いている、と。
テレビで知ることはあっても、実際にそれを仕事として実践したり、周りに広めたり、地域を巻き込んでやっている例はあまり多くない。
なぜそうなるのか。ここで久保田さんが挙げた指標が、非常に具体的でした。
パスポートを持っている人が、首都圏に比べて本当に少ない。
首都圏は空港が近く、ちょっとした時間で海外に行ける。地方には国際空港がないので、海外が「遠い世界の出来事」に感じられる。
その感覚は、情報全般に及びます。
「今こういうスイーツが流行っている」「こういうスポーツが流行っている」と聞いても、自分たちには関係ない、どこか遠い国の出来事だと感じている人が多いのではないか。
場所がなければ、可能性は生まれない
この回で最も本質的なやりとりが、テコンドー教室の意味についてでした。
盛岡市内に、他にテコンドー教室はあるのか。
「盛岡市内にはないですね」
岩手県内では、宮古と北上に別団体の教室があるのみだといいます。
つまり、地元にはそれに触れる機会自体がない。もし教室があれば、そこからオリンピックを目指す人が出るかもしれない――という話に対して、久保田さんはこう応じました。
「場所がないと、刺激もきっかけも経験もないので」
格闘技や外国の武道が、誰かのアンテナに引っかかるかもしれない。だから情報を発信して巻き込み、地方に活気を与えていきたい、と。
体験して、外に羽ばたいてほしい
今後については、ウェブとテコンドー以外にもドローン、そして一時期テストしていたシルクロードをテーマにしたカフェの再開も考えているそうです。
その狙いは一貫していました。漫画や他のメディアで知るだけでなく、実際に体験してもらうこと。
そこから知識や経験、刺激が積み重なって、それがきっかけで外に羽ばたいていけるような人材になってほしい。
社名の由来は、うさぎ
最後に、社名「アトリエ望月堂」の由来が語られました。
もともとデザイン系の会社をやろうと考えていたため、デザインらしい響きとして「アトリエ」。
「望月堂」については「日本人が経営しているから漢字を使ったほうがいいよね」という発想から。そして――
自分も妻もうさぎが好きだったので、うさぎに関係する言葉を使った。
もう一つ裏の意味もあるそうですが、「解釈が難しいので今回は割愛します」とのことでした。
※本記事は、ラジオ番組でお話しいただいた内容をShikisai編集部が記事としてまとめたものです。発言は趣旨を損なわない範囲で整理しています。事業内容・状況は収録時点のものです。
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ご紹介
Profile
株式会社アトリエ望月堂
代表取締役
1976年、岩手県盛岡市生まれ。1996年に都内の専門学校を卒業後、大手電機メーカーでPCサポートや家電のプロダクトデザイン、中小企業向けWebサイト運営を担当。2006年以降はフリーランスとして活動し、大手企業から個人クライアントまで幅広く、PS2・Wii・ガラケー・スマートフォン・PCなど多様なデバイス向けゲーム・アプリ、イラストスタンプ、CG動画などのエンタテイメント系コンテンツ、EC・金融・紹介系Webサイトの企画立案・制作・開発・運営に携わる。 2020年秋に盛岡に戻り、2021年初春に株式会社アトリエ望月堂を設立。デジタルからアナログまで、多彩な分野で企画・デザイン・制作・運営を手がけている。
株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。■編集長インタビュー「メディア「地域色彩」立ち上げの背景とは?株式会社ウェブリカ・石塚直樹が語る地域企業活性化のビジョン」https://chiiki-shikisai.com/webrica-ishizukanaoki/