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やめないことでキャリアをつくる──シンガーソングライター小林未郁に学ぶ、アーティストが活動を続けるには

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「アーティストのキャリアは一つではありません」。そう語るのは、シンガーソングライターとして国内外で活動を続けながら、株式会社K2カンパニー代表取締役としても事業を率いる 小林未郁さん です。メジャーデビュー目前での企画中止、活動停止、二度にわたる挫折。そうした経験を経て、小林さんは事務所に依存しないフリーランスとしての道を選び、自ら活動基盤を築いてきました。音楽制作やライブ活動に加え、サムライアーティスト集団KAMUIとの協働、海外公演、地域創生への関与など、その取り組みは「アーティスト」という枠を超えて広がり続けています。本記事では、小林さんのキャリアを時系列で追うだけでなく、その都度行われてきた判断の背景や思想に焦点を当てながら、表現者が長期的に活動を継続していくための構造を丁寧に紐解いていきます。

今回は、石塚直樹がナビゲーターとなり、
株式会社K2カンパニー代表取締役シンガーソングライター 小林未郁さん のキャリアや取り組みについて伺いました。

音楽の原点と、進路選択における迷いのなさ

石塚:
まずは音楽の原点について伺います。歌うことは、いつ頃から意識されていたのでしょうか。

小林さん:
物心がついた頃から、歌うことしか考えていませんでした。特別なきっかけがあったというより、生活の中に自然に存在していたものです。歌うことは「やりたいこと」というより、「あるもの」でした。

石塚:
将来を考える中で、別の選択肢が浮かぶことはなかったのでしょうか。

小林さん:
ほとんどありませんでした。大学に進学するという道もありましたが、何かをやるなら一つに絞りたいという気持ちが強かったです。複数の選択肢を同時に持つという発想が、当時の自分にはありませんでした。

石塚:
当時は情報環境も今とは大きく違いますね。

小林さん:
広島出身で、インターネットもほとんど普及していない時代でした。歌手になるには東京に出る、という発想自体が身近ではありませんでした。その中で、教師の紹介をきっかけに東京の事務所とつながったことが、結果的に最初の大きな分岐点だったと思います。

メジャーデビュー直前での挫折と、突然訪れた空白

石塚:
事務所に所属してからは、比較的早くプロの現場に入られています。

小林さん:
スタジオでのボーカル録りや、作家の方々との制作など、すべてが初めての経験でした。曲を書くようになったのもその頃です。現場で学びながら、プロとしての感覚を身につけていきました。

石塚:
一方で、大きな挫折も経験されています。

小林さん:
メジャーデビュー企画が公表された後に中止になりました。その後、別のレーベルと仮契約しましたが、二年間の拘束期間の末に企画が消え、活動が完全に止まりました。突然、何もなくなったという感覚が強く残っています。

石塚:
精神的にも厳しい時期だったのではないでしょうか。

小林さん:
周囲に誰もいないと感じていました。相談できる相手も少なく、「自分は何者なのか」を考えざるを得ない時間だったと思います。

フリーランスという選択と、自力での再構築

石塚:
そこからフリーランスとして再出発されます。

小林さん:
二度目の挫折を経て、「もうやるしかない」と腹をくくりました。事務所に戻るという選択肢も理論上はありましたが、自分の中では現実的ではありませんでした。

石塚:
なぜ事務所に戻らなかったのでしょうか。

小林さん:
一度、すべてが止まる経験をしているので、再び同じ構造に身を置くことに納得できなかったからです。自分で責任を持つ形でなければ、続けられないと感じていました。

石塚:
具体的にはどのような活動を。

小林さん:
ライブハウスに出続け、デモテープを配り、自分で企画を立てました。毎年アルバムを制作し、レコ発ライブを行いました。派手な話題にはなりませんでしたが、「次がある」という状態を切らさないことを最優先にしていました。

KAMUIとの出会いがもたらした表現の拡張

石塚:
現在の活動の大きな転機となったのが、KAMUIとの出会いです。

小林さん:
インターネット番組の司会を務めた際に出会いました。お互いにフリーランスで活動しており、自然と相談する関係になりました。

石塚:
音楽とサムライパフォーマンスは、一見すると異なる分野です。

小林さん:
私の楽曲は「死」や「情念」をテーマにしたものが多くあります。サムライのパフォーマンスも、常に死を内包しています。その死生観が重なっていると感じました。

石塚:
思想的な親和性があったのですね。

小林さん:
はい。実際にコラボレーションしてみると、無理なく一つの表現として成立しました。結果的に、表現の幅が大きく広がったと感じています。

海外展開を支えた「毎年のテーマ設定」

石塚:
海外活動が広がった背景について教えてください。

小林さん:
弾き語りを始めてから七〜八年ほど、毎年テーマを設定して活動してきました。オファーを一切断らない年や、グランドピアノのある会場に限定する年など、あえて制約を設けることで、自分の行動を明確にしていました。

石塚:
制約を設けることで、判断がしやすくなる。

小林さん:
そうですね。迷う時間を減らすためでもありました。その積み重ねが、アニメ挿入歌や海外イベントへの出演につながっていったと思います。

言語を越える表現と「通い続ける」という判断

石塚:
現地の言語で歌う取り組みも特徴的です。

小林さん:
一度きりで終わる関係に違和感がありました。その国の言葉で歌い、現地アーティストと一曲を作ることで、関係が継続します。現在は九カ国語で歌っています。

石塚:
費用や時間の負担も大きいと思います。

小林さん:
はい。ただ、それを「コスト」ではなく「経験」と捉えています。通い続けることでしか見えないものがあると感じています。

法人化という判断と、地域創生への接続

石塚:
法人化に踏み切った理由を教えてください。

小林さん:
フリーランスでできることに限界を感じたからです。責任の所在や、対外的な信用を考えると、法人という形が必要でした。

石塚:
地域創生との関わりも生まれています。

小林さん:
サムライ文化を軸に、地域と長期的な関係を築く取り組みが始まりました。短期的な成果より、継続性を重視しています。

「やめることをやめる」という意思決定の軸

石塚:
ここまで活動を続けてこられた最大の理由は何でしょうか。

小林さん:
やめなかったことです。音楽をやめるという選択肢を消したことで、「どう続けるか」だけを考えるようになりました。

石塚:
選択肢を減らすことで、前に進めた。

小林さん:
はい。迷いが減り、行動に集中できました。

編集後記

小林さんの語りから一貫して感じられたのは、「キャリアを完結させない」という姿勢でした。音楽、サムライ、海外、地域創生。分野は異なりますが、その根底には常に「表現を社会とどう接続するか」という問いがあります。
特に印象的だったのは、「やめることをやめる」という言葉が精神論ではなく、意思決定の構造として機能している点です。選択肢を意図的に減らすことで、思考を前進させる。この考え方は、表現者に限らず、長期的なプロジェクトに関わるすべての人に通じる示唆を含んでいます。
小林さんの歩みは、成功談ではなく「継続の設計図」です。成果を急がず、関係を積み重ね、終わりを定めない。その姿勢は、これからの時代における表現者像を静かに示しています。

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ご紹介

Profile

小林 未郁

株式会社 K2カンパニー
代表取締役・シンガーソングライター

小林 未郁

こばやし みか

Instagram X(旧:Twitter) Youtube

シンガーソングライター・株式会社K2カンパニー代表取締役。
メジャーデビュー企画の中止など複数の挫折を経て、フリーランスとして活動を再構築。
弾き語りを軸に国内外でのライブ活動を重ね、アニメ挿入歌や海外イベントへの出演など表現の場を広げてきた。
現在はサムライアーティスト集団KAMUIとの協働や、海外アーティストとの多言語コラボレーション、文化・芸術を通じた地域創生にも取り組んでいる。

小林さんのHPはこちら 侍アーティスト集団「KAMUI」についてはこちら
石塚 直樹

株式会社ウェブリカ
代表取締役

石塚 直樹

いしづか なおき

新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。
腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。
地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。

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