私たちが日々当たり前のように信頼を置いている医薬品や医療機器。当たり前になるには、当たり前になるだけのルールと人の努力がある。普段の生活のなかで私たちはあまり意識をしていないかもしれないが、その目に見えない“信頼”を支えているのが、医療機器・体外診断用医薬品認証機関だ。
お話をお伺いしたのは、医療機器・体外診断用医薬品認証機関のナノテックシュピンドラー株式会社代表・シュピンドラー千恵子氏。認証機関でありながら、サービス業時代に学んだ“顧客ファースト”の精神を忘れず、現在もモノづくりの世界を支えている。
今回は、シュピンドラー氏の人生をたどりながら、現在の組織づくりの根源について紐解いていきたい。
客室乗務員時代に培ったサービス業の精神
──ナノテックシュピンドラー株式会社は医療機器・体外診断用医薬品認証機関だとお伺いしましたが、具体的にはどういった働きをしている組織になるのでしょうか?
シュピンドラー千恵子(以下シュピンドラー):おもに医療機器や検査試薬の認証をしています。製品の安全性と品質管理システムが、法律や技術基準に適合していることを確認し、認証しています。認証した製品は弊社の管理のもと認証登録しているので、製品名が変わったり部品や工場などが変更になれば、その都度メンテナンスを行っています。
──シュピンドラーさんは、なぜ認証機関を立ち上げたのでしょうか?
シュピンドラー:実は、社会人になって最初についた職業は、客室乗務員なんです。
──まったく違う業界で働かれていたんですね。客室乗務員を目指したきっかけについて、教えてください。
シュピンドラー:学生時代は事務職に全く感心がありませんでした。最初から客室乗務員を目指していたというより、ほかの仕事に興味がなくて客室乗務員を選んだという感じですね。航空会社のJALとANAと東亜国内航空(現JAL)の3社だけ受験し、ANAに就職しました。
シュピンドラー:入社1年間は国内線、その後国際線に転籍しました。毎日訓練の日々でしたね。多種多様なお客様への適切な対応や、限られた空間と時間のマネジメント、危機管理上最も大切なルールの遵守、コミュニケーションの大切さ等を学びました。
そして次第にサービスを提供する側ではなく、サービスをつくる側に興味を持つようになりました。そのことを会社に伝えたのですが、専門職から総合職に転籍できるようなルール変更にあと10年かかると言われたので、退職することを決めました。その時点で次に行くあてが決まっていたわけではなかったし、周りには「もったいない」と言われましたね(笑)。
──なかなか思い切った決断ですね。
シュピンドラー:サービスを創造する側にいきたいという思いが叶えられないのであれば、ほかに目標が見出せなかったんです。その後は、ドイツ資本の半導体製造装置会社に役員秘書として就職しました。しかし実務はドイツ人エンジニアに付き添ったフィールドサービスでした。入社1年後その日本支社が撤退することが決まりました。それからは、その会社の顧客の装置メンテナンスや保守サービスを引き継いで、そのエンジニアと開業したんです。
1コンサル会社から認証機関へ
──立ち上げ当初は、どのような事業を行っていたのでしょうか。
シュピンドラー:立ち上げてすぐのころは、引き継いだお客様の装置の保守とメンテナンスを行っていたんですが、そのころEU市場で販売される製品に求められる欧州指令が発出されEUの基準に適合しなければ輸出できなくなりました。もともとドイツの組織で働いていたので、ヨーロッパの規制に関する知識を蓄えていましたので、製品を輸出する日本のメーカーに無償でコンサルしていました。その後、ドイツ本社が他の会社に買収されたので、最初に行っていたメンテナンス事業は終えて、コンサル事業がメインとなりました。
──それからは、ずっとコンサル事業を行っているのでしょうか?
シュピンドラー:そうですね。日本のメーカーに対し、海外市場への支援を行っていたのですが、そのころ薬事法が変わることになったんです。あるお客様から、薬事法が変わるけどシュピンドラーさんどうするの?と聞かれ、それがきっかけで、管理医療機器登録認証機関になることを決意しました。いままでは国が認可していたんですけど、国際整合の折、第三者認証機関制度となって、国に変わって民間で認証できるようになったんです。いままで海外輸出を中心に目を向けていたのですが、日本市場への上市にも携わるようになりました。
──そのころ、同じような登録認証機関はどのくらいあったのですか?
シュピンドラー:改正後2005年は12機関です。今は10機関で、そのうちの半分はヨーロッパ系です。
──世の中の規制の変化もあったと思いますが、経営の面で苦労はありましたか?
シュピンドラー:ピンチのときはありました。Wi-Fi、Bluetoothなどが普及し始めた2001年ごろに、新たな技術基準へに対応するため、1台1億円ほどの試験機を投入したんです。大手ITメーカーさんも顧客にいらっしゃり、無線試験環境も整えたかったし、メーカーさんにとって、ひとつの製品に必要な複数の試験をワンストップで行えた方が良いと思って。でもその機材の投資と、投資後に試験項目の変更により試験料金が安くなったことで収支があわなくなり、、無線試験から撤退し、高額試験機は売却しました。事業修正でなんとかピンチを脱出しました。
民間だからこそ、日本の中小企業の支えになれる
──シュピンドラーさんにとって、お客さまはどういった存在でしょうか?
シュピンドラー:行政のような仕事ですが、私たちは民間企業なので、お客さまがいないと組織は成立しません。ですから、お客さまは“イコールパートナー”であるべきだと思っています。とくに私はサービス業界の航空会社を経て、製造者の立場を経験し、今の経営に携わっているので、“顧客ファースト”の精神が根付いていると思います。
──まったく別の業界での経験が、いまの組織にも活きているんですね。
シュピンドラー:そうですね。とくに日本は中小企業が多いじゃないですか。国内の企業のうち約90%が中小企業で成り立っているんです。大手だと、細かいところまで行き届かないことも多いと思うのですが、私たちは日本の中小企業のモノづくりを、同じ目線で支えていきたいなと思っています。
──今後の展望について、教えてください。
シュピンドラー:弊社は千葉県の柏市にあるのですが、この地域にメディカルサイエンスバレーをつくりたいと考えております。近年、病気を未然に防ぐためのヘルスケア業界が注目されていますよね。自分の身体を検査し、診断に沿って早いうちに病気を治したり、健康に気を付ける方法として、体外診断用医薬品である検査試薬の活用も増えてくると思います。そういった面で、私たち認証機関も医療社会に貢献できると思うんです。
東京大学柏キャンパスや東京大学物性研究所、産業技術総合研究所柏センターなど、研究・企業支援の拠点が多くあります。地域と連携しつつ、より幅広い領域で試験認証機関の役割を果たせたらと思っています。
編集後記
客室乗務員から認証機関の経営へと転身したシュピンドラー氏。一見まったく違う職業だが、どちらにもビジネスの基本である“サービス業の精神”が活かされていることがわかった。こういった地続きの人生による経験が、組織の特徴として滲み出ているのだろう。これからも、『ナノテックシュピンドラー』にしかできないことに挑戦する姿を追っていきたい。