薬局の未来を変えるため、広島で起業した宮本誠二さん。
本番組では、彼が薬剤師として歩んできた道のりと、独立を決意した25歳の“人生設計”、2店舗目の撤退という苦難、そして「誰もが安心して働ける職場」を実現するための独自のルール作りについて、赤裸々に語っていただきました。
MSファーマシーは、ただ薬を渡すだけの場所ではありません。
「薬局に入る“1歩目”の敷居を下げる」ため、地域のお祭りに参加したり、美容院のような内装を取り入れたり、さらには風邪の患者向けに冷凍弁当の自販機まで導入。
その裏には、「処方箋がなくても入れる薬局にしたい」という想いが込められています。
また、薬剤師が「薬+α」のスキルを身につけ、自らの可能性を広げていける環境を提供。独立支援やネットワーク構築も視野に入れ、薬局を“経営の学び場”として捉えています。
漢方薬局構想や未病支援、そして出版活動まで──
薬局経営を単なるビジネスで終わらせず、地域・従業員・患者の「みんなの幸せ」を実現するために走り続ける宮本さんの姿は、まさに新しい地域医療モデルの原点。
薬局の未来にワクワクしたいあなたへ。
ぜひ、宮本誠二さんの熱いビジョンに触れてください。
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目次
宮本誠二さんと株式会社MSファーマシー
株式会社MSファーマシーは、広島で調剤薬局を運営する会社です。代表取締役の宮本誠二さんは奈良県出身。広島で起業し、7月には9店舗にまで拡大しています。
ただしその道のりは、最初から薬局経営を目指したものではありませんでした。
医学部志望から、薬学部へ
学生時代の宮本さんの目標は医学部でした。学年でも上位の成績でしたが、国語が苦手でセンター試験でつまずいてしまいます。1年間浪人したものの、やはり難しかった。
そこで父親から言われたのが、「これから薬剤師が重宝される」という一言でした。2浪は親に申し訳ない――そう考えた宮本さんは薬学部を受験します。
正直なところ、薬剤師がどういう仕事をするのかを全く知らないまま進学したといいます。いざ入ってみると専門用語が非常に多く大変でしたが、無事に卒業しました。
名古屋、奈良、そして広島へ
最初の就職先は東京に本社のある会社で、勤務地は名古屋。ただ本来の採用目的とは違う勤務であり、家の事情もあって奈良へ戻ります。奈良でも調剤薬局に勤めました。
転機は29歳での結婚。妻の実家が広島だったことから、広島へ移住します。
もっとも、広島に縁がなかったわけではありません。広島カープ、修学旅行で訪れて「いい街だな」と感じたこと、そして小学校時代の鳥取出身の友達が「広島はいいところだ」としきりに言っていたこと。もともと行ってみたい街だったのだそうです。
広島では調剤併設のドラッグストアに勤め、そこで一から十までさまざまなことを教わったといいます。
25歳でつくった「人生設計」
宮本さんの経歴で際立っているのが、25歳のときに人生設計を作っていることです。
きっかけは2つありました。1つは「薬剤師になれば将来は安定だ」という考えを持っていたこと。もう1つが、あまりにも専門に偏りすぎているという自覚です。薬学部以外の友達と話すと話がまったく合わない。社会のことも、国際情勢も、政治も経済も何も分からない。それがすごく恥ずかしかったといいます。
そこで立てた大きな目標が3つ。
- 年収1,000万円を超えること
- 100坪の家に住むこと
- 子どもが自分を超えていく姿を見ること
このうち1つ目を達成するには独立するしかない。そう結論づけた宮本さんは、そこへ辿り着くための道を逆算し、細分化し、「今は何をする時か」を年ごとに落とし込んでいきました。
そして到達したのが39歳での独立。25歳で立てた計画を、挫折も諦めもせず14年かけてやり切ったことになります。
ちなみに現在の達成状況を尋ねると、面白い答えが返ってきました。「達成はできるんですけど、しないようにしています」。達成してしまうと人生の目標が消えてしまうから、だそうです。
2店舗目が1年で閉店、残ったのは借金だけ
一番苦労したことを聞くと、独立直後の話が出てきました。
1店舗目の開局は順調でした。問題は2店舗目です。併設していた病院が閉院してしまい、薬局もわずか1年で閉局することになりました。「10年は大丈夫」と言われていたにもかかわらず、です。
手元に残ったのは借金だけ。宮本さんにとって、ここが一番の底でした。
返済のためには1店舗だけでは厳しい。そこで2店舗、3店舗と少しずつ増やして収益を上げていき、やがて軌道に乗せていきます。その結果が現在の9店舗です。
「もし2店舗目が潰れていなかったら、どうなっていたと思いますか」という問いに、宮本さんはこう答えました。「3店舗ぐらいだったかもしれないですね」。切羽詰まったからこそ、至るところに頭を下げ、いろいろな場所に種をまいた。それが芽を出し、少しずつ花が咲いて今がある――そう振り返ります。
悪口・陰口は一切禁止というルール
薬局経営の難しさとして宮本さんが挙げたのは、業種を問わない一点でした。人です。
「人間関係で揉めるしんどさは、他の業務のしんどさの比にならない」。だから同社では、悪口と陰口を一切禁止にしています。面接の段階でも必ず伝えるルールです。あわせて挨拶・笑顔・感謝の3つを求め、帰るときも「お疲れ様」だけでなく「今日もありがとうございました」で帰る、としています。
このルールは最初から厳格だったわけではありません。当初は緩かったものが、途中である問題が起きます。2対1で1人を攻撃するという構図が発生し始めたのです。裏でぐちぐち言われている、悪口を言われているかもしれない、2人でどこかに行かれると心配だ――そんな声が聞こえるようになりました。
結果としてその2人は退職しましたが、宮本さんの動機ははっきりしています。「被害に遭っている一人を守りたい」。そういう人を作らないためにどうするか――その答えが、陰口や悪口をやめようというルールでした。効果は「かなりありました」といいます。
もう一つ設けたのがホットラインです。何かあれば直接自分に言ってほしい、すぐ対応するから、と。これがあるだけで安心感が生まれたそうです。薬局は薬剤師ありきの事業。いかに守り、働きやすくするかが経営そのものに直結します。
「ここに来ると安心するわ」と言われる薬局へ
経営のやりがいを尋ねると、宮本さんが挙げたのは患者さんからの言葉でした。
「ここに来ると安心するわ」「今日は兄ちゃんおらんのか」。薬局は本来、体調を崩したときに行く場所です。そこで「居心地がいい」と言われるのは簡単なことではありません。だからこそ同社は居心地のいい薬局を目指し、アットホームな雰囲気づくりをしています。
薬以外の用事でも立ち寄ってもらえること、雑談をしに来てもらえること。それを「すごくありがたい」と語る姿に、9店舗まで広がった理由の一端が見えました。
※本記事は、ラジオ番組でお話しいただいた内容をShikisai編集部が記事としてまとめたものです。発言は趣旨を損なわない範囲で整理しています。店舗数・年齢は収録時点のものです。
ご紹介
Profile
株式会社MSファーマシー
代表取締役
大阪薬科大学を卒業後、調剤薬局やドラッグストアで現場経験を重ね、調剤業務から経営マネジメントまで多岐にわたる業務に携わる。2018年に独立し、現在は広島県内で複数の薬局を展開しながら、地域住民の健康を支える薬局づくりに尽力している。
漢方にも深い関心を持ち、専門資格を複数取得。東洋医学と西洋医学の両面からアプローチするスタイルで、患者一人ひとりの体調やライフステージに寄り添った提案を行う。薬剤師の働き方や心構えについても発信を続け、書籍の執筆などを通じて次世代の医療従事者育成にも取り組んでいる。
豊富な現場経験と経営視点を活かし、医療と暮らしをつなぐ存在として、地域医療の未来づくりに挑み続ける。
株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。


