住まいにとって緑とは、単なる装飾なのでしょうか。それとも、人が安心して暮らすために欠かせない要素なのでしょうか。本記事では、Aonosumika合同会社 代表社員の兼本直明さんに、造園という仕事を通して見えてきた「暮らしと緑の関係」について伺いました。まちづくりを学び、建築の世界を経て、伝統庭園と現代住宅の両方を経験してきた兼本さんが語るのは、一坪からでも始められる自然植栽の可能性です。対話を通じて、住まいが「家」から「住みか」へと変わっていくプロセスを掘り下げていきます。
目次
まちづくりへの関心と「空間をつくる」原体験
石塚:
まずこれまでの経緯から伺えればと思います。最初は造園ではなく、大学ではまちづくりを学ばれていたそうですね。当時はどのようなことに関心を持っていましたか。
兼本:
最初は大学でまちづくりを学んでいました。空間をつくることで、人の行動や気持ちがどう変わるのかに興味があったんです。大きいとか小さいというより、人と環境の関係性を見るという感覚でした。
石塚:
その視点をもとに、大学時代にはどのような活動に関わっていたのですか。
兼本:
筑波山の麓に北条という街があるのですが、そこで古い蔵を改修して音楽のコンサート会場をつくる活動に関わりました。ドイツの音楽団を呼んで演奏会を開いたりして、街に人が集まる様子を見て、とても感動しました。
石塚:
その経験を通して、特に印象に残っていることを教えてください。
兼本:
建物を直すこと自体も面白かったですが、そこで人が集まって時間を過ごすことに価値を感じました。
石塚:
そうした体験を経て、将来についてはどのように考えるようになったのでしょうか。
兼本:
建築に関わる仕事は素晴らしいなと思っていました。特に、現代建築よりも古い家屋や町並みに惹かれていました。街をつくるには、まず建物を知らないといけないと思っていて、それで京都で建築を学ぶことを選びました。
京都での建築修行と庭に惹かれていった理由
石塚:
京都の建築専門学校では、どのようなことを学ばれていたのですか。
兼本:
図面を引くこともありましたし、土壁を塗ったり、木を組んだりと、実際に手を動かす授業も多かったです。自分の手でつくるという感覚がとても面白かったですね。
石塚:
その頃は、資格や職業についてはどのように考えていましたか。
兼本:
建築士になりたいというより、何かをつくる仕事がしたいという気持ちが強かったです。
石塚:
その後、設計のインターンも経験されたそうですが、実際にやってみてどう感じましたか。
兼本:
設計の仕事はパソコンに向かって図面を描く時間が長くて、少し違うなと感じました。もう少し身体を動かして、現場に近いところで仕事がしたいと思いました。
石塚:
そこから、造園に意識が向いたきっかけを教えてください。
兼本:
建築を見る目的でお寺や神社を巡っていたのですが、疲れると自然と縁側に座って庭を眺めていました。気づくと、建物を見ている時間より庭を眺めている時間の方が長かったです。
石塚:
庭を眺めているとき、どんなことを感じていましたか。
兼本:
自分が一番癒やされているのはここだなと思いました。そして、こういう空間をつくる仕事があると初めて意識しました。
石塚:
建築を学ぶ中で、外部空間についてはどのように感じていましたか。
兼本:
建物の外側は後回しになりがちです。でも、人が立ち止まって心地よさを感じているのは、庭や外の空間だと感じました。
伝統庭園の現場で学んだ職人の視点
石塚:
造園を志してから、最初に入られた会社について教えてください。
兼本:
京都の老舗の造園会社に入社しました。宮内庁関係の御所や庭園と関わりが深く、伝統庭園の手入れを中心に仕事をしていました。
石塚:
入社後は、どのような仕事から始まったのですか。
兼本:
剪定や掃除、水回りの手入れなど、職人としての基礎を徹底的にやりました。
石塚:
現場での経験を通して、どのようなことを学びましたか。
兼本:
木を一本切るにしても、何のために切るのかを常に考えることです。景色としてどう見えるか、木が今後どう成長するかまで含めて判断します。日本庭園は一代で完成するものではなく、何世代にもわたって引き継がれていくものだという時間感覚も学びました。
石塚:
その現場には、しばらく在籍されていたのですよね。
兼本:
はい。とても勉強になりました。
石塚:
その後も仕事を続ける中で、考えるようになったことはありましたか。
兼本:
日本庭園は非日常の空間として完成度が高いですが、自分の暮らしの延長線上に置くには少し距離があると感じるようになりました。
現代住宅に合う植栽との出会いと独立
石塚:
その後、大阪の会社に移られますね。
兼本:
はい。大阪の荻野景観設計という会社に移りました。
石塚:
その会社を選んだ理由を教えてください。
兼本:
モダン建築に合う植栽をしている点に惹かれました。雑誌などで見て、とてもかっこいい造園をする会社だと感じました。
石塚:
実際に働いてみて、どのような点が印象に残っていますか。
兼本:
現代の住宅に緑をどう組み合わせるかを、実践的に学ぶことができました。自然な樹形を活かして、人が無理につくり込まないという考え方も大きかったです。
石塚:
在籍期間は長かったそうですね。
兼本:
はい。結果的に7年ほど在籍しました。設計も現場も任せてもらえて、居心地の良い環境でした。
石塚:
独立を考えるようになったのは、どのような理由からでしょうか。
兼本:
扱う物件が高級住宅に偏っていると感じるようになったからです。自分がやりたかったのは、特別な人のための庭ではなく、自分自身の生活を含めた一般の暮らしを良くすることでした。
一坪から始める自然植栽という考え方
石塚:
現在取り組まれている「一坪からの自然植栽」について教えてください。
兼本:
庭や造園というと広い敷地が必要だと思われがちですが、実際は一坪あれば十分にできます。樹木を5本くらい植えて、草花を10種類前後組み合わせることで、小さな森のような空間をつくれます。
石塚:
一本の木ではなく、複数植える理由は何でしょうか。
兼本:
複数あることで、季節ごとの変化や時間帯による表情の違いが生まれます。葉の揺れや影の落ち方も変わって、見ていて飽きにくいです。
石塚:
植物の選定は、どの段階で決めているのですか。
兼本:
基本的には事前に決めません。光の入り方や風の抜け方を見て、その場で判断します。住宅は完成してみないと正確な環境が分からないので、現場で調整することが大切です。
「住まいになった」と感じる瞬間
石塚:
ご自身の住まいでも、緑を取り入れた経験があるそうですね。
兼本:
はい。5年ほど前に古い家を購入したのですが、最初の1年は何も植えていませんでした。
石塚:
実際に植えてみて、どのような変化がありましたか。
兼本:
緑を植えたことで、やっと住まいになったと感じました。それまでは、家はあるけれど完成していないような感覚だったんです。
石塚:
生活の中では、どんな影響がありますか。
兼本:
帰ってきたときにほっとしますし、実がなる木を植えると鳥が来たりして、日常の中に小さな出来事が増えます。子どもとの会話も自然と増えました。
これからの視点と読者へのメッセージ
石塚:
今後は、どのようなことに取り組んでいきたいと考えていますか。
兼本:
個人住宅だけでなく、街並み全体を緑と一体で考えていきたいです。落ち葉や越境といった問題も、お互い様という感覚になれば、根本的な解決につながると思います。
石塚:
最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
兼本:
少しでもやってみたいと思ったら、気軽に声をかけてほしいです。緑を植えることは簡単ではありませんが、一緒に考えながら解決していけると思っています。
編集後記
今回のインタビューを通して強く印象に残ったのは、兼本直明さんが語る「緑」が、終始一貫して暮らしの実感に根ざしていた点でした。造園という言葉から連想されがちな装飾性やデザイン性よりも先に、「帰ってきたときにほっとするか」「その家で暮らしていると感じられるか」という、ごく当たり前でありながら見落とされがちな感覚が何度も語られていました。
特に印象的だったのは、「緑を植えたことで、やっと住まいになった」という言葉です。家が完成するのは建物が建ったときではなく、生活と環境が結びついたときなのだという認識は、建築や住宅を考える多くの人にとって大きな示唆を含んでいます。一坪という最小単位から語られる自然植栽の話は、制約の中での工夫ではなく、むしろ誰にでも開かれた入口として提示されていました。
また、建築と造園、内と外、日常と非日常といった分断を越えて語られる兼本さんの言葉からは、これまでのキャリアを通して積み重ねてきた視点の厚みが感じられます。本記事が、緑を「足す」ことではなく、暮らしそのものを見直すきっかけとして読者に届くことを願っています。
ご紹介
Profile
Aonosumika合同会社
代表社員
「メジロが来たね。」妻のその言葉にびっくりしました。インドア派な妻が鳥の種類を知っているなんて思いもよりませんでした。
「おおきくなーれ、おおきくなーれ」娘が水をやりながらつぶやいていました。最近見た映画の影響でしょうか。
庭をきっかけに、家族の違った側面や成長を垣間見ることがあります。大人になって気づいたことは、夢や希望も大切だけどそれと同じくらい日常のささやかな出来事が大切で、それがたくさん集まって人生を彩ってくれるということです。
私たちの日常を小さな幸せで満たしてくれる、そんな庭をつくりたいと思っています。
株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。
腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。
地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。