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“思考の幅”を広げると行動が変わる。認知の偏りを整えるコンセプチュアルスキルとは / セルフ・マネジメント・オフィス 代表 松井睦子

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セルフ・マネジメント・オフィス代表の松井睦子さんは、ITエンジニアとして長年現場を経験する中で、「プロジェクトの成果を決めるのは技術だけではなく、思考の質そのものである」と語ります。IT企業で多くのプロジェクトに携わり、順調に進む案件と停滞する案件の差を観察した結果、その違いが“状況をどう捉えるか”“何をどう考えるか”という認知の違いにあると気づいたことが出発点でした。

その後、人材開発室の立ち上げ、大学院でのコンセプチュアルスキル研究、そして現在のコンサルティング実践へと歩みを進めています。経験と理論を丁寧に重ね合わせながら、「思考が変われば行動が変わり、組織が変わる」という考え方を実務へと応用してきました。

本記事では、松井さんのキャリア・研究・実践の全体像をたどりながら、“意思決定の質を高める”とは何かを深く掘り下げていきます。

今回は石塚直樹がナビゲーターを務め、セルフ・マネジメント・オフィス代表の松井睦子さんに、これまでのキャリアの変遷や研究の背景、そしてコンセプチュアルスキルを軸にした思考支援について詳しく伺いました。

エンジニアから人材開発へ──“人を見る”へと視点が反転した瞬間

石塚:
まず、松井さんのキャリアの始まりについて伺えますか。

松井さん:
私は銀行系のIT子会社からキャリアをスタートしました。エンジニアとして働き、技術を習得しながらプロジェクトの最前線に立つ日々でした。その後は独立系企業に移り、技術を提供する立場になりました。当時はまさに“技術で仕事をする”という働き方で、タスクを確実にやり切ることが自分の中心にありました。

石塚:
そこから人材開発領域へ移られたのは、大きな方向転換だったのではないでしょうか。

松井さん:
はい、本当に大きな転換でした。きっかけは、プロジェクトの現場で感じた違和感です。ITプロジェクトの中には、順調に進むものもあれば、同じ条件でも疲弊してしまうものもありました。「なぜこんな差が生まれるのだろう」と考えるようになったのです。

観察し続けるうちに、“人”が結果に大きく影響していることに気づきました。同じタスクでも、メンバーの関係性や意欲、視点によってプロジェクトの流れは全く変わります。そこで初めて、自分がこれまで“人を見る”という視点をほとんど持っていなかったと気づいたのです。

石塚:
技術中心の働き方から、“人を見る”という視点に意識が移ったわけですね。

松井さん:
そうです。当時、会社の中でも市場環境に合わせた変革が必要になっていました。市場が求めるスキルと、社内のメンバーがもつスキルにズレが大きく、企業として初めて「人を育てる」というメッセージを本格的に出すタイミングでした。

そこで人材開発室を新設することになり、プロジェクトがひと区切りついた私に声がかかったのです。

石塚:
実際に人材開発室へ移られて、どのような変化がありましたか。

松井さん:
まず “視点” が大きく変わりました。エンジニアとしての私は、タスクを期日までに終わらせることが最優先でした。しかし、人材開発の立場では、目の前の人がどのように状況を捉え、何を感じ、何に迷い、どこに動機をもつのか──そうした“見えない領域”が最も重要になります。

人材開発室の立ち上げ時には、まず二つの問いを設定しました。
1つは「人材開発室は会社にとってどんな存在であるべきか」。
もう1つは「人事部と私たちを分けるものは何か」。

対話を深めていく中で、私たちは「内発的動機づけ」にたどり着きました。人事部が給与や制度といった外発的動機づけを担うのに対し、私たちが担うべきは“自分の内側から生まれる動機”だと考えたのです。

石塚:
技術教育よりも“動機づけ”に着目されたのですね。

松井さん:
はい。ITの技術は分野によって必要知識が大きく異なりますが、動機づけや認知の癖、自己理解といった思考の領域は全員に共通しています。ここが整っていないと、技術教育を行っても効果は上がりません。

石塚:
現場との対話も積極的に行われていたと伺いました。

松井さん:
会社が合併した直後だったこともあり、現場は大きな不安を抱えていました。そこで私は徹底的に話を聞くことから始めました。事業部長の席の横にあったゴミ箱に座って、2時間ほど話し込んだこともあります。現場の感情や背景を知らずして、育成はできないと考えていたからです。

“内発的動機づけ”を軸にした新しい育成アプローチ

石塚:
人材開発室では、まず二つの問いを立てたとお話しいただきました。そこからどのように組織づくりを進めていったのでしょうか。

松井さん:
私たちは最初に「この部門は会社にとって何であるべきか」という存在意義を明確にしようとしました。もう一つは「人事部とどう違うのか」。人事部は給与や評価制度など外発的動機づけに関わる中心的な部門です。しかし私たちはそうした制度面の権限を持っていません。だからこそ、外側から動機を与えるのではなく、内側から湧き上がる“内発的動機づけ”に働きかける必要があるのではと考えました。

石塚:
実際にその考えに至った背景を、もう少し詳しく伺えますか。

松井さん:
それは現場で多くのプロジェクトに関わった経験から来ています。技術スキルの差よりも、「どんな意欲で仕事に向かっているか」「どんな価値観を持っているか」「自分の仕事をどのように意味づけているか」─こうした部分がプロジェクトの成果を左右している場面を数多く見てきました。表面的には同じ業務でも、気持ちや捉え方によってアウトプットの質が変わるのです。

だからこそ、人材開発において“動機づけ”は避けて通れないテーマだと考えました。

石塚:
「技術教育から入る」のではなく、「動機づけから入る」という点が非常にユニークですね。

松井さん:
ありがとうございます。もちろん技術教育も必要です。ただ、IT分野は領域が広く、必要な知識も細分化されています。アプリケーション開発者、基盤系エンジニア、組込み系エンジニアなど、職種によって習得すべき内容はまったく違います。

しかし、その土台となる“自分をどう動かすか”“どう意味づけるか”という部分は全員に共通しています。だからこそ、内発的動機づけの育成は技術教育と同等か、それ以上に重要だと感じていました。

石塚:
最初の取り組みとして、どのような施策を行ったのでしょうか。

松井さん:
私たちは人材開発室の立ち上げ時に、まず「どの能力を育てるべきか」をゼロから整理しました。その中で、内発的動機づけに加えて“マネジメントスキル”が重要だと考えました。管理職だけでなく、リーダー層・メンバー層にも必要だからです。

それらを踏まえて最初に作成したのが「プロジェクトマネージャー向け研修」でした。現場に即したリアルな内容にするため、日々の実務を細かくヒアリングし、実際に起きたケースや実際の課題を研修内容に落とし込みました。

石塚:
現場との対話はどのように進めたのですか。

松井さん:
ここが最も重要でした。研修をつくる前に、事業部長や現場リーダーのもとに足繁く通いました。合併直後だったこともあり、職場の空気はとても繊細でした。「自分たちはどちらの会社の“文化”をもっているのか」という感覚が揺らいでいる状態です。

私は中途採用だったため、どちらの立場にも属していない中立性がありました。その立場を活かし、相手の不安や背景を丁寧に聴くことができたのだと思います。あの“距離の近い対話”は、現場の理解を深める大きな財産になりました。

石塚:
それだけ密に現場と対話されていたことが、研修の実効性にも繋がったのですね。

松井さん:
はい。現場のリアリティを反映した研修にすることで、受講者が「これは自分の仕事に関係ある」と感じられる状態をつくることを大切にしました。机上の理論ではなく、実務に直結する内容でなければ意味がありません。

また、プロジェクトマネージャー向けの研修を作成した後は、組織全体で継続的に育成が進むように“ルーチン化”にも取り組みました。一定の枠組みができあがると、「やるべきことはやり切った」という感覚が生まれ、自分自身としても次のステップへ進みたい気持ちが芽生え始めました。

石塚:
その感覚が独立への動機にもなったのでしょうか。

松井さん:
はい。組織の中でできることをほぼやり切ったと感じるようになり、自分の視点もより広い領域へ移りました。そして次に進むためのもう一つのきっかけが、社内のメンタルヘルス部門とのやり取りです。

メンタルヘルス領域の専門家と協働する場面があったのですが、個人情報の取り扱いの観点からデータ共有が難しく、対話が噛み合わない場面がありました。そこで「相手の専門性を理解するためには、自分も体系的に学ぶ必要がある」と痛感しました。それが大学での学び直しに進む理由にもなりました。

理論を求めて─大学院で出会ったコンセプチュアルスキル

石塚:
第2章では、人材開発室での経験や現場との対話を通して、組織づくりに深く関わったお話を伺いました。そこから独立へと向かっていく背景には、どのようなプロセスがあったのでしょうか。

松井さん:
人材開発室での取り組みが一通りかたちになり、会社全体で育成が回り始めていました。プロジェクトマネージャー向け研修をはじめ、組織の土台づくりが整い、私の役割も“仕組みづくり”から“運用”へ移りつつありました。そこで、「私がここにいなくても大丈夫だろう」という感覚が芽生え、同時に「では自分は次に何を学ぶべきか」という問いが生まれました。

もう一つの大きな要因は、メンタルヘルス領域の専門家との協働で感じた“認識のずれ”です。個人情報の扱いの観点から、専門家側は情報共有に慎重な立場でした。一方で私は、組織改善にはデータが必要だと考えていたため、対話がかみ合わない場面がありました。そのとき、「専門領域ごとの考え方の違いが背景にあるのでは」と感じ、自分も体系的に学び直す必要を強く意識しました。

こうした流れもあり、まずは通信制大学で人間科学を学び始めました。人がどう考え、どう行動し、どう変わるのか──現場で経験的に理解していたことが、理論として結びついていく感覚がありました。そして学びを深めるうちに「もっと本質的に“思考そのもの”を扱いたい」という思いが強まり、筑波大学大学院へ進学しました。

石塚:
大学院ではどのような研究に取り組んだのですか。

松井さん:
修士論文のテーマとして「IT プロジェクトマネジャーの思考」を扱いました。研究を進める中で出会ったのが、ロバート・カッツの提唱する“コンセプチュアルスキル”という概念です。

カッツは、マネージャーの能力を

  1. テクニカルスキル(技術)
  2. ヒューマンスキル(対人)
  3. コンセプチュアルスキル(概念化)
    の3つに分類しています。しかし、テクニカルやヒューマンには具体的な説明がある一方で、コンセプチュアルスキルだけは明確な定義がありませんでした。「重要なのに説明されていない」という点に強い興味を持ちました。

研究を進める中で教授が多くの資料を紹介してくださり、読み込むほどに「現場で見てきた“成果の差”は、実は思考の差だったのではないか」と気づくようになりました。経験年数やスキルのみならず、状況をどうとらえてどう考えていたかいう“認知の違い”が、プロジェクトを成功にも失敗にも導いていたのだと。

石塚:
その気づきが、思考を深く扱う現在の活動につながったのですね。

松井さん:
そうですね。特に印象に残っているのは、大学院での勉強を終えた帰り道に感じたことです。駅から自宅へ歩いているとき、過去に出会った人たちの顔がふと浮かびました。「同じ状況なのに、なぜ判断が違ったのか」「なぜプロジェクトの進み方が変わったのか」と考える中で、視点の偏りやものの見方の違いが次々と思い出されました。

例えば、お客様の視点に偏りすぎている人、メンバーの気持ちだけに寄ってしまう人、納期とコストの話しかしていない人……。そんな人たちの“見ている世界”が一気に整理されていく感覚がありました。「ああ、違いはここなんだ」と腑に落ちた瞬間です。

そこから、「思考を扱うことこそ、自分が進むべき領域だ」という確信が生まれました。

石塚:
では、松井さんにとってコンセプチュアルスキルとは?

松井さん:
一言でいえば、”思考に関わるスキル”です。物事をどう捉えるか、どの情報を重視しているか、何に意味づけをしているか──そうした“内側の思考プロセス”を扱います。

たとえば、対話で白黒を決めるのではなく第三の案を考えられるかどうか。相手がどんな世界を見ているかを理解しようとする姿勢があるかどうか。自分の考えに固執せず、別の可能性を検討できるかどうか。こうした思考の柔軟性はすべてコンセプチュアルスキルの領域です。

これは見えづらい領域ですが、意思決定に直結します。過去の経験から判断するだけでは不十分で、「その経験をどう抽象化しているか」「現在の状況をどう捉えているか」で結論が変わります。同じ出来事でも、とらえ方・考え方によってまったく違う判断が下されるのです。

石塚:
現場での経験と研究が、今の仕事の土台になっているわけですね。

松井さん:
そうだと思います。現場の違和感、人材開発での組織づくり、学び直し、大学院での理論研究──これらがつながり合いながら、「思考そのものを見る」という現在の仕事につながっています。

“ものごとのとらえ方・考え方”が意思決定を左右する

石塚:
第3章では、松井さんが大学院でコンセプチュアルスキルに出会い、「思考そのものを扱う」という方向性が明確になったプロセスを伺いました。ここからは、コンセプチュアルスキルの具体的な中身について伺っていきたいです。そもそも、思考の違いはどのように意思決定に影響するのでしょうか。

松井さん:
人の意思決定には、その人がどのように物事を捉えているかが強く影響します。たとえば、ある出来事が起きたときに「これは問題だ」と捉える人もいれば、「この部分だけを修正すれば大丈夫だ」と捉える人もいます。あるいは、「そもそもこの構造自体を見直した方が良いのでは」と発想する人もいます。出来事そのものは同じでも、捉え方が違えば意思決定も変わります。

この“捉え方の違い”をつくっているのが思考のかたよりであり、それを扱うのがコンセプチュアルスキルだと思っています。

石塚:
思考のかたよりは、どのように形成されるのでしょうか。

松井さん:
多くの場合、過去の経験によって形成されます。人は無意識のうちに「自分がうまくいったやり方」「自分が失敗したやり方」を参照してしまいます。その参照の仕方が思考のかたよりになります。経験自体はとても大事ですが、それがそのまま“固定化された判断基準”になってしまうと、新しい状況に柔軟に対応できなくなります。

ですから、経験をただ積むだけではなく、「経験をどう抽象化するか」「どのようにパターン化して捉え直すか」が重要になります。

石塚:
経験を「抽象化する」とは、どのようなことを指すのでしょうか。

松井さん:
たとえばプロジェクトでトラブルが起きたとします。表面的には「納期が遅れた」「コミュニケーションが不足していた」といった出来事が起きているわけですが、その奥にはもっと汎用性のある学びが隠れています。

「ステークホルダーの期待値を把握できていなかった」
「メンバーの認知のズレが調整されていなかった」
「前提条件が曖昧なまま進めてしまった」

こうした学びは、別のプロジェクトでも役に立ちます。経験をそのまま記憶するのではなく、“普遍化して理解する”ということですね。

そのプロセスがあることで、状況の捉え方が柔軟になり、より適切な意思決定ができるようになります。

石塚:
では“現在の状況”をどう捉えるかという視点についてはどうでしょうか。

松井さん:
状況の捉え方には、過去の経験だけではなく“今、目の前で何が起きているか”を丁寧に理解する力も必要です。ここを見誤ると、いくら経験を抽象化していても判断がずれてしまいます。

たとえば、関係者それぞれの背景や事情をどれだけ把握しているか。お客様が何を重視しているのか。メンバーが何に不安を感じているのか。組織の状況がどう変わっているのか。事実として何が起きていて、何は“思い込み”なのか。

こうした情報の整理ができていないと、適切な意思決定にはつながりません。つまり、コンセプチュアルスキルは「過去の経験の抽象化」と「現在の状況理解」の両方がそろってより機能します。

石塚:
IT人材の思考には、何か特徴があるのでしょうか。

松井さん:
IT人材の方は、論理的に考えることが得意な方が多いと感じています。それ自体は大きな強みです。一方で、論理に寄りすぎると「白黒つけたい」「正しい答えが一つある」という思考になりやすい面もあります。

論理的であることと、視野が狭くなることは別問題なのですが、“論理的であるほど自分の正しさに確信を持ってしまう”という状態が起きることもあります。その確信自体が悪いわけではありませんが、状況を柔軟に捉えるためには、一度立ち止まり「本当にそうだろうか?」と疑ってみる必要があります。

私はこの“立ち止まる力”こそが、コンセプチュアルスキルの入口だと思っています。

石塚:
思考の柔軟性を高めるために、実務ではどのような関わり方をされているのでしょうか。

松井さん:
私はまず「その方が今、どの様な思考のかたよりを持っているか」を丁寧に把握します。たとえば、「結論を急ぐ癖がある」「相手の気持ちを過度に重視する」「データを最優先に考える」など、思考の傾向は人によってさまざまです。

そのうえで、別の視点を提示しゆっくりと視野を広げていきます。もちろん押し付けるのではなく、対話をしながらその人のペースで進めます。

自分の思考のかたよりに気づけると、「ここに偏りがあったのか」と理解できるようになります。すると、今までとは違う判断ができるようになるのです。

石塚:
認知の癖に気づくことで、意思決定の質が変わっていくのですね。

松井さん:
はい。認知の癖を理解し、視点を広げることで、問題に対してより本質的なアプローチが取れるようになります。私はそれを“思考の構造を整える”と表現しています。構造が整うと、行動が自然に変わり、結果的にプロジェクト全体の流れも変わっていきます。

こうした変化は、技術教育だけでは生まれません。思考の領域に働きかけることが、意思決定の質を高めるためには不可欠なのだと実感しています。

クライアントの思考を広げる──対話を通じた実践

石塚:
コンセプチュアルスキルが意思決定の質を大きく変えるというお話を伺ってきました。ここからは、松井さんが現在実践されている“思考支援”の具体的な関わりについて教えてください。企業や個人と関わる際、どのようなアプローチから始めるのでしょうか。

松井さん:
最初にするのは、その方が「何を心配しているのか」と「何を達成したいのか」を丁寧に聴くことです。これは表面的な課題だけではなく、その奥にある“本音の目的”を理解するプロセスです。一般的には、目の前の悩みや困りごとをそのまま解決しようとしがちですが、その背景には必ず“本人にとっての意味”があります。それを共有していただくことで、初めて正確な思考のサポートができます。

石塚:
いわゆるコーチング的な対話に近いものを感じます。

松井さん:
そうですね。コーチングの技法も使いますが、私が重視しているのは“その人がどんな認知の癖を持っているか”を把握することです。思考のかたよりを見つけないままアドバイスすると、一時的な行動改善で終わってしまうことがあります。そうではなく、意思決定の土台となっている認知の構造を理解し、その人自身が「自分はこういう見方をしていたのか」と気づけるように関わります。

そのため、アドバイスをするというよりは、問いを通して視野を広げるイメージに近いですね。

石塚:
実際の現場では、どんな“癖”が見えてくるのでしょうか。

松井さん:
たとえば、「結論を急ぎやすい癖」がある方がいます。状況が曖昧なままだと不安になり、すぐに決断したくなるタイプです。一見すると行動力があるように見えますが、十分な情報整理をせずに動いてしまうことで、後から大きな修正が必要になるケースもあります。

逆に、「相手の気持ちを重視しすぎる癖」のある方もいます。メンバーの感情を大切にするあまり、本来必要なフィードバックや方向転換を言い出せなくなる場合があります。

また、「データだけを重視する癖」を持つ方もいます。数字や根拠を重視すること自体は素晴らしいのですが、数字では測れない要素──たとえば、場の空気やメンバーの不安、組織文化の変化などに目を向けられず、意思決定が硬直化するケースがあります。

このように、一人ひとりが異なる“思考の偏り”を持っています。それを一緒に整理し、別の視点を提示しながら、視野を広げていくのが私の役割です。

石塚:
思考のかたよりを把握したうえで、どのように支援を進めていくのですか。

松井さん:
まずは“気づくこと”です。自分の思考のかたよりに気づくと、「私は今、このパターンで物事を見ていたのか」と理解できるようになります。そこから、「この状況ではどんな別の見方があるだろう」と自然に発想が広がります。

次に、その視点の変化がどのように行動につながるかを一緒に整理します。たとえば、「相手を気にしすぎる方であれば、「相手の気持ちを尊重しつつ、必要なフィードバックを伝えるにはどんな表現が適切か」といった対話をします。これは単なる行動改善ではなく、認知の変化から行動が変わるというプロセスです。

石塚:
研修の場でも同じようなことが起きるのでしょうか。

松井さん:
はい。研修では、参加者が自分のテーマを数か月かけて継続的に扱うプログラムがあります。そこでは、単に知識を学ぶのではなく、自分の“認知の癖”と向き合うプロセスが含まれています。

ある参加者の方が「自分はいつも相手の反応ばかり気にしていた」「でも、本当は自分の判断に責任を持つことが怖かったのだと気づいた」と話してくれたことがあります。“変わるべきは相手ではなく、自分だった”と気づいた瞬間でした。

こうした気づきは、外側からの指示では生まれません。自分の思考の構造に向き合うことで初めて生まれるものです。

石塚:
まさに“思考の構造を整える”ということですね。

松井さん:
そうですね。構造が整うと、本人が自然に「今は立ち止まるべきだ」「ここは慎重に情報を集めよう」「この局面では相手の意図を確認しよう」といった判断ができるようになります。これは一種の“自律”に近い状態です。

外部から行動を矯正するのではなく、本人の内側から意思決定の質が高まっていく。それが私が大切にしているアプローチです。

石塚:
それは本人にとっても、組織にとっても大きな変化ですね。

松井さん:
はい。人は行動を変えるよりも、思考の構造を変える方が難しいと言われていますが、いったん構造が整うと、行動の変化は自然に起こります。だからこそ、外側から行動だけを変えようとするのではなく、認知の土台から介入することが大切だと思っています。

そして、こうしたプロセスを通じて、私は改めて「人は自分の思考を知ることで変わっていける」と確信するようになりました。

“立ち止まる力”が未来を変える──次世代へのメッセージ

石塚:
ここまで、コンセプチュアルスキルがどのように意思決定や行動に影響を与えるのか、具体的な場面を交えながらお話しいただきました。最後に、読者の方へメッセージをお願いできますか。

松井さん:
はい。私が一番お伝えしたいのは、「人を変えようとする前に、自分の思考を一度立ち止まって見つめる時間を持ってほしい」ということです。仕事の中で何か問題が起きたり、うまくいかない状況に直面したとき、多くの方はまず“外側”に原因を探します。環境が悪い、相手が変わらない、リソースが足りない──もちろん外部要因は存在しますが、そこだけを見ていても本質にはたどり着けません。

一度立ち止まり、「自分はこの状況をどう捉えているのか」「どんな前提で判断しているのか」「何を恐れていて、何を守ろうとしているのか」といった問いを持つことで、認知の癖に気づくことができます。このプロセスが、意思決定の質を変える第一歩になると感じています。

石塚:
現場では、立ち止まる余裕すらなく進んでしまうことも多いですよね。

松井さん:
そうですね。特にITやビジネスの現場ではスピードが求められ、判断を急ぐ場面もあります。ただ、早い判断が必要な状況でも、思考の基盤が整っているかどうかで結果は大きく変わります。焦ってしまうと、目に見える情報だけを見て判断してしまいがちですが、そのときこそ「本当にそうだろうか?」と一瞬立ち止まることが大切です。

私はこの“立ち止まる力”をコンセプチュアルスキルの入口だと考えています。立ち止まることで、自分の認知の癖を客観的に見つめる余白が生まれ、別の選択肢に気づくことができます。

石塚:
立ち止まるだけで、思考の質が変わるということですね。

松井さん:
はい。人は立ち止まり、考えを整理し、別の見方や可能性を検討することで、判断の幅が広がります。それは単なるスキルではなく、人生全体を通して役に立つ“認知の姿勢”だと思うのです。

実際、これまでご一緒した企業の方や個人の方から、「以前は相手を変えようとしていたが、今は自分の捉え方に働きかけるようになった」「思考が変わったことでチームの空気が変わった」といった声をいただいてきました。これは、外側の行動を変えたのではなく、思考の構造が変化した結果だと感じています。

石塚:
松井さんのアプローチは、組織全体の文化にも影響を与えそうです。

松井さん:
そう思います。組織の文化は、個人の認知や意思決定の積み重ねで形成されます。一人ひとりが自分の思考に気づき、整えていくことで、組織全体の判断基準やコミュニケーションの質が高まります。これは決して大げさな話ではなく、実務の中で確実に起きる変化です。

また、私はコンセプチュアルスキルが特別な人だけに必要な能力だとは思っていません。管理職だけでなく、新人や若手の方にも十分関係があります。むしろキャリアの早い段階で“思考のかたより”に気づければ、その後の仕事の仕方が大きく変わります。

石塚:
最後に、今後挑戦していきたいことを伺えますか。

松井さん:
これからは、思考のスキルをもっと“誰もが扱える形”にしていきたいと思っています。コンセプチュアルスキルは抽象的に聞こえますが、実は日々の仕事や生活に直結するものです。ただ、それが体系立てて語られる機会が少ないため、「難しそう」「自分には関係なさそう」と感じられてしまいがちです。

私は、思考のプロセスを可視化し、整理し、誰でも理解できる形にすることで、もっと多くの人が自分の認知と向き合えるようになると考えています。そうすることで、「自分の判断に自信が持てない」「状況を整理できない」と感じている人が、自分の力で前へ進めるようになるはずです。

石塚:
思考のスキルを“扱えるもの”にしていくということですね。

松井さん:
はい。思考は目に見えませんし、正解があるわけでもありません。しかし、見えないからこそ言語化し、整理する価値があります。コンセプチュアルスキルは、そのための土台になると信じています。

そして最終的には、一人ひとりが自分自身の思考を理解し、状況を丁寧に捉え、より良い意思決定ができるようになること──そのための支援をこれからも続けていきたいと思っています。

編集後記

今回の取材を通して強く感じたのは、松井睦子さんが「思考そのものを扱う」という、極めて抽象的でありながら実務に直結する領域を、一貫して丁寧に探求してきたことです。ITエンジニアの現場、人材開発室での制度づくり、大学院での理論研究、そして独立後の思考支援──それぞれの経験が単体で存在しているのではなく、一本の線としてつながっていることが印象的でした。

特に興味深かったのは、松井さんが語った「立ち止まる力」の重要性です。現場では結論を急ぎたくなる場面が多く、環境要因に目が向きがちですが、その瞬間に自分の思考のかたよりや前提を見直すことが、意思決定の質を大きく変えるという視点は、非常に示唆に富んでいます。行動ではなく思考の構造に働きかけることで、自然と行動が変化し、組織全体の流れが変わるという考え方は、今のビジネス環境において大きな価値を持つと感じました。

また、松井さんの話は“スキルの獲得”を目的にするのではなく、「自分の認知を理解する」という、より深いレイヤーへ読者を導いてくれます。これは、DXや技術革新が進むほど求められる能力でもあり、個人のキャリア形成にも直接的なヒントを与えてくれる視点です。

思考を整えることは即効性のあるアプローチではありませんが、長期的には確実に行動と成果の質に影響を与えます。今回の取材が、読者の皆さまにとって、ご自身の判断や認知の癖に目を向ける機会となり、より安定した意思決定へつながっていくことを願っています。

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Profile

松井 睦子

セルフ・マネジメント・オフィス
代表

松井 睦子

まつい むつこ

IT企業でエンジニアとしてキャリアをスタートし、その後、人事・人材開発領域へ転身。
大手企業の人材開発室では、育成体系の設計や研修企画に従事し、「人が変われない理由は思考の構造にある」という確信を得る。
独立後、大学院に進みコンセプチュアルスキルや意思決定を研究する。
現在は“認知のかたよりを見抜き、意思決定の質を高める思考支援”を軸に、企業研修・若手育成・個人向けコーチング・メンタリングを行う。
行動矯正ではなく、思考の構造を整えることで自律的な変化を促すアプローチに定評がある。

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石塚 直樹

株式会社ウェブリカ
代表取締役

石塚 直樹

いしづか なおき

新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。
腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。
地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。

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