Shikisaiはなぜ始まったのか。プロデューサー石塚直樹が語る、新幹線の試算と人口問題からの原点
地域の魅力を未来へ伝える地域色彩プロデューサー・石塚直樹が、ラジオでその思いとビジョンを語る。地域の個性や課題に向き合い、未来を描く30分となっています。
ラジオ版Shikisai(地域色彩)の第2回。ゲストを呼ばず、プロデューサーの石塚直樹が30分を一人で話した回です。このメディアがどういうものなのか、そもそもなぜやっているのかを、生い立ちから遡って語っています。
目次
生まれてすぐイギリスへ。そして英語を全部忘れた
石塚は1988年9月、横浜市の病院で生まれました。
生まれてすぐ、父親の仕事の関係でイギリスに引っ越します。約5年を過ごし、小学1年生で日本に戻りました。
当時は現地校に通っていたため英語はペラペラ。家のホームビデオには英語を話す自分が映っているそうです。ところが日本に帰ってきて全く話さなくなり、その英語はすっかり忘れてしまった。「すごく残念だなと思っている」と振り返っています。
小学校は日本の学校に6年間通い、中学・高校は東京の中高一貫校へ進みました。
中学2年、「自分は20歳で死ぬ」と思い込んだ
この回で最も個人的な話が、中学時代の出来事でした。
2000年頃、日本で狂牛病が大きく報じられました。石塚の記憶では、コロナ禍のときと同じくらいニュースで扱われていた。牛肉を食べると人にも病気がうつる、脳がスカスカになる――そう散々報じられ、中学2年生だった石塚は牛肉が全く食べられなくなります。
一方、家族は気にせず牛肉を食べていました。「俺は絶対食べない」と言っていた石塚に、ある日母親がこう言います。
「そもそもあんた、イギリスに住んでた時、牛肉バクバク食べてたじゃん」
後で聞くと、石塚がイギリスに住んでいた頃も現地で流行しており、安くなっていたこともあって家族は気にせず食べていたのだそうです。
当時、潜伏期間は15年ほどと言われていました。中学生の石塚は計算します。5歳の時に食べている。ということは――
20歳くらいで自分は死ぬ。
怖い思いをしただけでなく、「何をやっても無駄じゃないか」「今までの人生、無駄だったな」と思ってしまい、本当にやる気がなくなった時期があったといいます。
時間が経つにつれ、その恐怖自体は忘れていきました。牛肉も今では普通に食べています。しかし、あのとき抱いた「生きていても無駄だった」という感覚は強く残った。
そこから芽生えたのが、この思いでした。
自分の人生で、何か意味のあることをしなければ。
歴史小説の登場人物は、千年経っても名前が残っている
高校時代、石塚は小説――特に歴史ものをよく読んでいました。三国志、新選組、戦国時代。
そこで気づいたことがあります。
ここに出てくる登場人物は、千年、二千年経っても名前が残っている。
そうなるには何か偉業を成し遂げなければいけない――進路を考える時期にそう感じ、「とりあえず頑張ろう」と東京大学を目指し、合格します。
ただし、その後は正直に語られていました。ほとんど勉強せず、部活とバンドに明け暮れて留年。
さらに就職活動の年は2011年、東日本大震災と重なり、スケジュールがぐちゃぐちゃになりました。就職にもすごく苦労し、なんとかメガバンクに内定を得て社会人になります。
新幹線のルート試算で気づいた、一番効く数字
配属されたのは、たまたま生まれ育った横浜の支店。銀行員として中小企業営業をずっと担当しました。これが自分に向いていて、成績も上がったといいます。
そこから行内の異動で、国土交通省へ。銀行に入ったのになぜ、と思ったそうですが、要は国の中枢の仕事を勉強してこいという意味の派遣でした。
配属先は鉄道局――新幹線をどう作っていくかを考える部署です。銀行から来た人間として、財源を担当することになりました。
仕事は、どのルートにすれば経済効果が最も高くなるかを試算すること。
試算には多くの変数が入ります。所要時間、通るルート、今後の景気予測。そのなかで最も影響したのが「人口減少率」でした。
人口がどれくらい減るかは、まだ誰にも分からない未知の領域です。そして、こうなる。
人口があまり減らない前提であれば、極端な話、どんな変なルートにしても経済効果はすごく出る。
であるならば――と、石塚はピンときます。
人口が減らないように、もっと努力したほうがいいのではないか。
この時点で起業のイメージは全くありませんでした。それでも人口問題に自分のやるべきことがあると思ったのが、国交省時代でした。
副業のウェブマーケティング、そして腕時計の通販
同じ頃、プライベートで大変なことが重なり、もっとお金を稼がなければと思う時期がありました。そこで始めたのが、副業のウェブマーケティングです。
やっていたのは、化粧品や健康食品を売るためのページを作り、そこにアクセスを集め、売れたら収益が入るという形。これが割とうまくいきました。
発展させていけるのではないかと考え、2018年頃に独立します。
最初に立ち上げたのは腕時計の通販会社でした。もともと香港で生まれたブランドが日本に進出したいという話をもらい、その代表として運営。腕時計も通販でよく売れたそうです。
面白くなって、いろいろな通販の支援をするようになる。ところが、そこで疑問が生まれます。
そもそも、何のためにやっているんだっけ。
腕時計のブランドが売れて売上が上がった。それは良い。けれど、社会を大きく見たときに、これが何につながっていくのか。青汁を売っていたときも同じことを思ったといいます。
独立直後は自由になって新しい仕事をするのが楽しく、自由気ままにやっていた。そこから「ちょっといろいろ考え直さなきゃいけない」と考えが変わっていきました。
2020年、横浜に戻る
独立後は東京で暮らし、東京で仕事をしていました。それをコロナが始まった2020年頃、横浜に戻して地域密着でデジタルマーケティングの代理店をやろうと決めます。
国交省時代に感じた人口問題へ、回り道をして戻ってきた形でした。
石塚が挙げた構造は、こうです。
人口密度が高いところでは、出生率が低いというデータがある。一方、人口密度が低いところは、そもそも経済が発展していないということでもある。だから地方で生まれた子どもは東京に出てきてしまい、また地方の経済が落ちる――悪循環が完全に生まれている。
ならば、こうするしかない。
地域・地方にいても、いい仕事があるし、楽しい生活ができる。そういう世の中にしていかないと、どこかで限界が来る。
こうして生まれた会社が株式会社ウェブリカであり、企業理念が「地域に豊かさを」です。
Shikisaiが始まった理由と、川崎のキムチ屋
理念が定着し、仲間も増え、会社の規模も少し大きくなったタイミングで、社内からこんな話が上がります。
もう少し、その理念にストレートに役立つ事業をやりたい。
そこで「メディアを作ろう」となったのが、Shikisaiの出発点でした。地域で頑張っている会社やお店にどういう思いで事業をやっているのかをインタビューし、PRに協力していく。収録時点で約50社の取材を重ねていました。
取材が面白い理由の例として挙げられたのが、川崎のキムチ屋です。
とても売れている有名なキムチで、食べるとすごくおいしい。だからこそ「なんでこんなものを作ったんですか」という話が気になる。そこには作った人の歴史と思いがこもっている。
そして――
それを聞いてから食べると、また、おいしく感じる。
起業家や事業家の根源にある思いや情熱を伝える流れができれば、そのものはもっと売れていく。地域・地方にある商品が、それを伝えきれていないこと自体が格差の原因の一つではないか――そう考えるようになったといいます。
ちなみにラジオについては、最初すごく抵抗したそうです。「ラジオ、誰が回すの」「石塚さんでしょ、社長でしょ」「いや、俺できないよ」。人前で話す経験をしてこなかったから、というのが理由でした。
SDGsの「開発」という訳語が、ずっと引っかかっていた
後半では、当時関心を持っていたテーマとしてSDGsが取り上げられました。ここでの石塚の読み替えが、なかなか独特です。
SDGsはSustainable Development Goalsの略で、日本語訳は「持続可能な開発目標」。石塚はこの訳がずっと腑に落ちなかったといいます。
「開発」というと、ゼロから新しいものをガチャガチャ作っていく感じに聞こえる。どちらかというと「持続可能な成長」ではないか。
排気ガスを出しながら経済を回すのは持続可能ではない――それは感覚的に分かる。けれど、もっと分かりにくいところにも同じ話がある、と石塚は言います。
経済の仕組みや社会の仕組みとして、誰かにしわ寄せがいかないことを目指しながら仕事をする。
そして、SDGsの本質を企業価値の評価軸の変更として捉え直しています。
平たい言葉にすれば、こういうことだ、と。
利益を出しまくれる会社がかっこいいのではなく、誰にもしわ寄せがいかない形でちゃんと利益を出せる会社がかっこいい。そういう価値観へ世の中を変えていく動きなのではないか。
PRの会社である以上、その価値観の移行に少しでも関われるのは面白い。だからShikisaiでも、そうした取り組みをしている方や会社を紹介していきたい、と話していました。
それでも、地方の会社は「もっと儲けないといけない」
最後にもう一つ、当時力を入れたいこととして挙げられたのが、この率直な一言でした。
持続可能なと言いながら、やっぱり地域・地方でやっている会社はもっと儲けないといけない。
地方で稼げるという場を作ること自体が、日本の経済を考えるうえで大事なことだから、と。
経営を語るラジオではないけれど、マーケティング、そして銀行時代の金融・経営の知見も含めて、ビジネスや経営を成功させることに何かしら役立つヒントも散りばめたい――そんな方針を示してこの回は終わっています。
※本記事は、ラジオ番組でお話しした内容をShikisai編集部が記事としてまとめたものです。発言は趣旨を損なわない範囲で整理しています。狂牛病に関する記述は、当時の報道に対する本人の受け止めを述べたものです。数値・状況は収録時点のものです。
ご紹介
Profile
株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。