グローバルピースファウンデーションジャパンの後藤亜也氏が、多文化共生と朝鮮半島の平和について語る。「ワンファミリー」の理念のもと、日本発の平和構築への取り組みや、隣国の分断問題に対する日本の役割を熱く論じる30分。
目次
「亜也」と書いて、あや
後藤亜也さんは、一般社団法人グローバル・ピース・ファウンデーション・ジャパン(GPFジャパン)の代表理事です。
まず名前から。アジアの「亜」に「也」で、あや。本名です。「この名前で男性は、おそらく私一人じゃないかな」と本人は言います。
神戸で生まれ、育ったのはほとんど東京。大学は横浜・日吉に住みながら通いました。
専攻は応用化学で、大気中の有害物質を計測する方法などを学んでいました。しかし、それだけでは飽き足らなかったといいます。
大学の頃から、何か社会的変化に直接関わりたいという気持ちがすごく強かった。
そこから国際的なNPO・NGO活動を立ち上げる人生に変わっていきました。
「アイデンティティの違い」から生まれる対立
グローバル・ピース・ファウンデーション(GPF)は2009年にアメリカで国際NPOとして設立されました。
その出発点にある問題意識が、この団体の骨格です。
それぞれの国や地域が抱える問題の多くは、アイデンティティの違いから生じる葛藤や軋轢である。
宗教の違い、文化の違い、人種や部族の違い。その違いがあるから「自分が正しい、向こうが間違っている」という争いになる。
それに対して掲げているのがワンファミリーという考え方でした。血縁でつながっているわけではなくても、精神的にはつながっているワンファミリーであるという捉え方です。
アメリカ以外にも、フィリピン、マレーシア、インドネシア、アフリカ諸国など17か国で設立されており、日本での一般社団法人としての登録は2012年と、比較的新しい支部にあたります。
日本が後になった理由も語られていました。
日本にはそこまで深刻なアイデンティティの違いの問題がないと思っていた。それよりも、日本のほうがポジティブなメッセージを発信できるのではないか。
日本国内だけでなく、周辺の国々を助けるという意味も込めての設立でした。
学生団体では届かないものがあった
後藤さんはGPFの設立時から関わっています。それ以前は国際的な学生団体のNPOを運営していました。
そこで感じた限界が、新しい組織を作る動機になります。
学生はとても大切な存在で、まだ若く未来があり、変わる要素をたくさん持っている。しかし一方で――
学生だけで社会が動いているわけではない。今リーダーになっている人、社会に直接影響力のある人たちが変わらなければいけない。教育も変わらなければいけない。
もっと広い(ブローダーな)組織を作ろう――そうしてGPFが生まれました。
「あの国はこうだ」と言う人には、たいてい友達がいない
活動の原点は、1980年代の学生時代にありました。
当時は英語も話せなかったものの、アメリカの学生交流イベントに参加したり、韓国や中国に行ったりと、国際交流に積極的だったといいます。
そこで理解したのが人間関係を築くことが平和につながるということでした。
この文脈で語られた指摘が、鋭いところです。「あの国の人はこうだ」という決めつけを聞くことがある。それについて後藤さんはこう言います。
ああいうことを言うのは、たいてい友達がいない人。イマジネーションが出来上がってしまっていて、リアリティがない。
一人でも二人でも友達がいて、本当に心を深く理解したら、まずそういうことは言わない。
そこから導かれる結論は、シンプルでした。
人間が変わらないと、人間関係が変わらないと、社会は変わらない。よく考えたら当たり前のこと。誰かが変えてくれるわけではなく、変えるのは人間だから。
だからソーシャルチェンジとは、人間のチェンジである。そのために人が変わる機会をどう提供するかをずっと考えてきた、と。
浪人時代に読んだ本と、「なぜそれでいいと思えるのか」
後藤さんに影響を与えた本の話も出てきました。一浪していた時期に読んだ、学生運動の渦中に京都大学の助教授を務めていた作家・高橋和巳の作品です。
その小説の主人公たちは、みな同じ道を辿ります。
社会を変えるために、正義のために立ち上がる。しかし周りはその人を支持せず、干されていく。
そして後藤さんが衝撃を受けたのは、著者自身の人生も同じようになっていったことでした。学生側についた結果として居場所を失い、やがて病を得て若くして亡くなる。それが手記として残されている。
悲しさもある。それでも――こういう、やりがいのあることをやっていきたいという気持ちが強くなった、と振り返ります。
卒業後は一時期、父親の会社で経営コンサルタントの仕事にも携わりました。しかし気持ちは変わらず、学生団体をより専門的にやりたいと考え、2001年にニューヨークへ渡ります。
同級生の多くは大企業に入っていきました。それを見ながら思っていたことが、率直に語られています。
「なんで、それでいいと思っちゃうのかな」。人生は限られているのだから、もっとやりがいがあるものがあるはずなのに。
日本は本当に「単一民族」なのか
GPFジャパンの国内活動の出発点は、この認識のズレでした。
日本の人はよく「日本は単一民族だ」と勘違いしてしまう。
しかし実際には、多くの外国出身の方が暮らしています。訪日外国人も含めれば、その存在はさらに身近です。少し地方に行けば工場があり、ブラジルの街のようなコミュニティが形成されている場所もある。
つまり多文化共生はすでに現実であり、そこで日本が良いものを発信していかなければいけない――というのが問題意識でした。
「おもてなし」への、海外からの違和感
そこから2015年に立ち上げたのが「多文化おもてなしフェスティバル」です。
特徴は運営の仕方にあります。多文化のバックグラウンドを持つコミュニティのリーダー格の人が集まり、フェスティバルの内容も企画も全部みんなで打ち合わせする。
後藤さんはこう言います。毎月のように実行委員会を事務所で開催していて、そこでのエキサイティングな議論そのものが、もうプログラムなんです。
そして「おもてなし」という言葉について、外国の方からよく聞くという指摘が紹介されました。当時は東京オリンピックの開催が決まり、「おもてなし」が広く語られていた時期です。
日本人はおもてなしがすごく得意。お客さんとして喜ばせて返すのは、とても上手。
けれど――
本当のおもてなしは、そういうものではないと思う。家族として迎え入れて、同じものを食べて、同じ場所で過ごして、家族付き合いをする。そのほうが、本当におもてなしされた感じがする。
後藤さん自身、フィリピンやブラジルの方から身をもってそれを経験していました。だから英語名をこうしたそうです。
Multicultural One Family Festival。おもてなし=ワンファミリー。
いま最も重視しているテーマ
GPFジャパンが現在、重要なテーマとして取り組んでいるのが朝鮮半島の分断です。
後藤さんの説明では、これはアイデンティティの違いによる対立(アイデンティティ・ベースト・コンフリクト)の、最も顕著な例が日本のすぐ隣にあるという位置づけになります。
同じ民族、同じ言語でありながら分かれ、会いたくても会えない離散家族がいる。そして日本国内にも、南側を支持する方も北側を支持する方も暮らしている。
後藤さんが指摘したのは、当事者意識の問題でした。歴史的な経緯を含めて、日本はもっと当事者意識を持つべきではないか。日本から何ができるのかを考えたい、と。
もう一つ、韓国の若い世代についての観察も語られました。分断や統一への意識が薄れてきているのではないか、という見方です。それを後藤さんは比喩でこう表現しました。
『進撃の巨人』ではないけれど、壁が100年あったら、壁の向こうに何があるかにはほとんど意識がいかなくなる。
背景として、韓国社会が抱えるストレスや、出生率・就職難といった厳しい現実にも触れています。自分のことで精一杯という状況では、大きなテーマを現実の問題として捉えにくくなる、と。
だからこそ、後藤さんはこう考えます。
分断は、当事者が望んで生まれたものではなく、国際的な力によって生じたもの。ならば一つにしていくのにも国際的な支援が要る。
ただし、主人公はあくまでコリアンの人たちである。その夢(コリアンドリーム)の実現をサポートするために、日本人も頑張らなければいけないのではないか――というのが後藤さんの立場でした。
まず、何をすればいいのか
「では第一歩として何をすればいいか」という問いへの答えが、この回でいちばん実行しやすい部分でした。
身近に在日コリアンの知り合いがいるかもしれない。もしいたら、朝鮮半島の事情について、普通にざっくばらんに話してみる。
後藤さんの実感が続きます。友人にその話をすると――
ものすごく喜んでくださる。「日本の方でそんなことを考える人は誰もいない」と言われる。
聞き手が「勝手にタブー視してしまっているところもあったかもしれない」と応じると、後藤さんはこう返しました。
人が困っていることを意識して心を寄せていくのは、日本人が得意なはずなのに、なぜかこの問題については「考えないようにしたい」という気持ちがある。
だから自分ごとにしていくことが大切だ、と。あわせて挙げられたのがアウェアネス(意識を高めること)と、自分たちの小さな行動でした。
収録を終えた後藤さんの感想も、この番組らしいものでした。「自分が何をやっているのかを整理することができました」。
※本記事は、ラジオ番組でお話しいただいた内容をShikisai編集部が記事としてまとめたものです。発言は趣旨を損なわない範囲で整理しています。歴史的経緯・国際情勢に関する記述はすべて後藤さん個人の見解であり、Shikisaiとしての立場を示すものではありません。番組内で述べられた統計・年代等の数値は、正確性を期すため本記事では割愛しています。
公式サイトはこちら→https://gpf.jp/
ご紹介
Profile
一般社団法人グローバル・ピース・ファウンデーション・ジャパン
代表理事
慶応義塾大学理工学部応用化学科を卒業後、国際NGOの立ち上げに関わり、2001年に米国ニューヨーク州に移住。2009年に米国で国際NPOのGlobal Peace Foundationを設立し、上級副会長として各国支部を監督。2011年に活動拠点をシアトルに移動。2012年、日本支部である一般社団法人グローバル・ピース・ファウンデーション・ジャパンを設立。2019年、国連経済社会理事会の特殊諮問資格を取得。
株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。■編集長インタビュー「メディア「地域色彩」立ち上げの背景とは?株式会社ウェブリカ・石塚直樹が語る地域企業活性化のビジョン」https://chiiki-shikisai.com/webrica-ishizukanaoki/