グローバル化が加速し、欧州企業をはじめとする外資系企業が日本へ進出する中で、「人」と「組織」の課題はより複雑さを帯びています。文化の違い、価値観の衝突、コミュニケーションギャップ──その根底には、“人間理解の不足”が横たわっています。
こうした現場に20年以上向き合ってきたのが、フミコンサルティング合同会社の代表であり、現役の大学教員として心理学を教える蔵本真紀子さんです。組織心理学・発達心理学・文化心理学という専門領域と、欧州および外資系企業での実務経験を組み合わせ、「心理学×管理者教育」という独自のアプローチで、多国籍チームや企業の変革を支援してきました。
本記事では「なぜ今、心理学が管理職育成に必要なのか」をテーマに、蔵本さんの専門性と実践知に迫ります。

目次
なぜ「心理学×管理者教育」だったのか
蔵本さんが「心理学×管理者教育」という領域に踏み出した背景から伺えますか?
蔵本さん:
私はもともと、大学院で組織心理学・発達心理学・文化心理学を研究し、現在も現役の大学教員として講義を担当しています。学び続けることで得られる知識の深さ、そして学生の変化を見届けられる教育者としての役割には強い喜びがあり、「教員一本でキャリアを積んでもいい」と当時は本気で思っていました。
そんな私の価値観を大きく揺らしたのが、同僚として出会ったフランス人のエグゼクティブコーチです。彼は欧州企業の人材開発に長く携わり、「もっと人間理解を土台にしたコンサルティングを日本に広げたい」というビジョンを持っていました。彼から「心理学の専門家として、日本企業と外資系企業をつなぐ役割を担ってほしい」と声をかけられたことが、今の事業の原点です。
当初、私は大学を辞めるつもりがなく、この誘いには即答できませんでした。しかし、「大学の仕事は半分続けてよい」という条件で合意できたことで、コンサルティング事業と大学教育を並行する二足のわらじが始まりました。
結果として、この「現役大学教員 × コンサルタント」という立場こそ、現在の私の強みになっています。研究で得られる最新知見を現場に還元し、現場で観察した変化を研究に持ち帰る。海外と日本の両方に触れながら、人と組織の課題を立体的に理解できることが、クライアントからも高く評価いただいています。
心理学は、管理者教育にどう活きるのか
専門領域が「心理学」であることは、管理職育成にどう結びつくのでしょうか?
蔵本さん:
心理学は「人がどう動くか」「なぜ変わるのか」を扱います。管理職の行動変容やチームの変革には、人の内側にある認知・情動・文化背景への深い理解が欠かせません。私は特に以下の3つを軸に、組織や管理職を支援しています。
■ ①組織心理学(組織の“見えない力”を読み解く)
組織心理学では、個人の問題と見えるものの背後に、
- 権限構造
- 暗黙のルール
- 評価制度
- 情報の流れ
といった構造的要因が潜んでいると考えます。
「部下が言うことを聞かない」「部門が協力しない」といった現象も、性格や相性ではなく、仕組みを変えることで改善されるケースが非常に多いのです。
■ ②発達心理学(“育つプロセス”を理解する)
発達心理学の視点を取り入れると、人のつまずきを個人の問題ではなく発達段階として理解できます。
- 指示がないと動きにくい段階
- 人間関係を中心に判断する段階
- 目的や価値から主体的に判断できる段階
これらは能力差ではなく、思考の発達段階の違いです。
この視点は海外でも日本でも通用するという点も強みですね。
■ ③文化心理学(諸外国と日本の“当たり前”の違いを可視化)
カナダの大学で学び、外資系企業で海外勤務を経験しました。夫はフランス人で、現在も欧州を含む海外出身の同僚と働くことが多く、多文化環境に長く身を置いています。そうした経験のおかげで、日本企業と海外企業の間で起こる誤解を、文化や考え方の違いとして丁寧に整理し、どの部分が噛み合っていないのかを掴むことができます。
同じ言葉を使っていても、
- 仕事のスピード感
- 意思決定の仕方
- 上司・部下関係
- コミュニケーションの温度
がまるで異なります。
外資系企業の日本拠点で起こりがちな「言った・言わない」「決まらない」「発言しない」問題も、文化心理学のレンズがあると一気に整理され、解決の糸口が見えてきます。

欧州と外資系企業で学んだ“現場のリアル”
実務経験が支援の質にどう影響していますか?
蔵本さん:
私は心理学者であると同時に、過去には外資系の自動車メーカーでプロジェクトマネージャーを務めていました。欧州本社と日本の現場の間に立ち、価値観の違いが生む摩擦に直面し続けた経験は、今の支援に直接つながっています。
■ 欧州企業の「権限委譲」と日本企業の「受け身」の差
欧州企業では、マネージャーが自律的に判断し、責任を担います。
日本企業では「最終判断は上層部」が一般的で、現場が受け身になる構造があります。
欧州側からは「なぜ日本は決めない?」
日本側からは「本社の指示が現場と合わない」
どちらの気持ちも分かるからこそ、橋渡しができます。
■ 多国籍チームで起きる“沈黙”の問題
日本人は会議で発言しない、欧州側は「なぜ言わない?」と不満を抱く。
これは語学力以前に文化の問題で、“空気を読む文化”と“明確に伝える文化”の違いです。
私はここで、ファシリテーションと参加者の両方に働きかけます。
- ファシリテーター:発言を引き出す設計
- 日本人メンバー:小さなステップから話す練習
- 欧州メンバー:日本文化の背景を理解する
文化の翻訳を行いながら、両者が歩み寄れる場を整えていきます。

なぜ“パッケージ研修”を売らないのか
フミコンサルティングが「定型商品を持たない」のはなぜですか?
蔵本さん:
理由は単純で、企業ごとに課題が全く違うからです。
過去、依頼された通りに「ストレスマネジメント研修」を実施した際、現場に全く響かなかった経験があります。原因は、依頼内容と実際の課題がズレていたからです。そのとき強く学びました。
“会社が言語化している課題”と“現場にある本当の課題”は違う。
それ以来、必ず現場インタビューを行い、
- 何が起きているのか
- 誰が困っているのか
- どの構造が問題を生んでいるのか
を一緒に見立てた上で、テイラーメイドで支援を設計しています。
これが「心理学×管理者教育」の効果を最大化する唯一の方法だと思っています。
部門間対立が“共通の目的”へ変わった工場の話
印象的な事例を具体的に教えてください。
蔵本さん:
ある自動車部品工場では、部門同士の関係が完全に断絶していました。
- 困ったら他部門のせい
- 情報は共有されない
- ミスは責任の押し付け合い
- 毎日が緊張状態
そこに必要だったのは「仲良くしましょう」ではなく、仕事そのものを一緒に見直す場でした。
まずはチーム全員と、「私たちがここにいる意味」を確認するところから始めました。どの部門も、本質的には「良い製品を約束した納期通り届ける」という目的は共通していたのです。そのうえで、業務プロセスの中から摩擦点を一つ選び、ホワイトボードで全員と見える化しました。
- どこで情報が止まる?
- どこで誤解が起きる?
- 何がストレスになっている?
「問題は人ではなくプロセスにある」という理解が進むと、空気が一気に変わりました。
結果として、部門間の関係が改善し、ミスは減り、現場のストレスも軽減。
20年改善しなかったチームが、数カ月で変わり始めた瞬間でした。

多国籍チームの支援──“文化の翻訳者”として
外資系企業の支援で感じる課題は何ですか?
蔵本さん:
多国籍チームは、文化の違いがそのままコミュニケーションの齟齬になります。
特に欧州系企業では意思決定のスピードが早く、日本側の慎重さが「遅い」「曖昧」と受け取られがちです。
私は両方の文化を理解しているからこそ、
- 欧州側には「日本の背景」を
- 日本側には「欧州の前提」を
言語化して伝えます。
「文化の翻訳者(Cultural Translator)」としての役割が、外資系企業の支援では特に重要です。

心理学×管理者教育の応用──メンタルヘルスと自己理解
心理学を用いた自己理解プログラムも人気と伺いました。
蔵本さん:
はい。ユング心理学のタイプ論と、思考スタイルの違いを扱う自己理解セッションは、参加者から特に評価が高い内容です。
- 自分はどんな情報で判断しているのか
- どんな傾向の人と誤解しやすいのか
- どういうフィードバックが最も成長につながるのか
こうした“自分の取扱説明書”を理解すると、部下の指導にも活かせます。
また、メンタルヘルスの課題は“個人の弱さ”ではなく、
- 組織の大きな仕組み
- 業務設計や業務量
- 心理的安全性といった文化
- 上司とのかかわり方
といった複数の要因によって生じることも多いため、状況を立体的に捉えるための組織心理学的な見立てがとても役立ちます。
日本企業・外資系企業へのメッセージ
最後に、読者へ伝えたいことはありますか?
蔵本さん:
日本企業も外資系企業も、形は違っても「人」に関する悩みは共通しています。
私は、欧州文化と日本文化のどちらも深く理解し、心理学と実務経験を持つ立場から、
“両者をつなぐ橋”になれたらと思っています。
組織はすぐには変わりません。しかし、リーダーをはじめ誰か一人が行動を変えると、対話が変わり、チームの空気が変わり、組織が少しずつ動き出します。
私が目指しているのは、
「明日、会社に行くのが少し楽になるような組織」
を日本にも、外資系企業にも増やしていくことです。

編集後記
心理学、文化、組織。これら三つの領域を横断しながら、外資系企業・欧州企業・日系企業の狭間で起きる「見えない摩擦」を解きほぐしていく蔵本さんのお話には、一貫して“人を丁寧に見る”という姿勢がありました。
表面的なエンゲージメント指標や、パッケージ化された研修が解決できないのは、まさにこの「丁寧に見る視点」が欠けているからかもしれません。蔵本さんは、単にスキルを教えるのではなく、“なぜその問題が起きるのか”という根本原因にアセスメントから踏み込み、組織の文脈に合わせて研修やコーチングをカスタマイズしていきます。
その背景には、現役の大学教員として心理学研究を続ける姿勢と、多国籍企業で培われた実務経験がありました。文化心理学に基づく「欧州と日本の価値観の違い」、発達心理学から見た「人が成長するプロセス」、組織心理学の「チームのダイナミクス」。これらの理論が実務経験と結びつくことで、企業の課題を“構造”として理解し、現場へ落とし込む力につながっています。
そして印象的だったのは、「明日会社に行くのが楽しみだと思える組織をつくりたい」という言葉でした。
効率化や即効性が重視される時代にあっても、人の変化には時間が必要です。だからこそ蔵本さんは、目の前の人に寄り添い、仕組みを整え、地道な対話を積み重ねていく。
本質はいつもシンプルで、しかし決して近道はない。
そんな当たり前を、実証と実践で形にしてきた蔵本さんの仕事は、これからの日本企業がグローバル環境で成長していくうえで、確かな指針になると感じました。
ご紹介
Profile
フミコンサルティング 合同会社
代表
青山学院大学大学院で博士(心理学)を取得。
組織心理学・発達心理学・文化心理学を専門とし、国内外での営業・プロジェクトマネジメント経験、外資系企業での多国籍チーム運営、大学講師としての指導経験を持つ。
心理学のエビデンスと実務経験を統合し、企業の組織開発、管理職育成、異文化コミュニケーション支援、メンタルヘルス施策などをオーダーメイドで提供。
日本語・英語のバイリンガルとしてグローバル環境にも対応し、「働く人が明日会社に行くのが楽しみになる職場づくり」を使命に、人と組織の持続的な成長を支援している。