目次
リーガル・アソシエイツ株式会社とは?
石塚:まず最初に自己紹介と会社紹介をお願いします。
藤川:リーガル・アソシエイツ株式会社の藤川と申します。
当社は中小企業・ベンチャー企業を中心に経営全般のコンサルティングを行っている会社です。特徴としては、私自身は司法書士ですが、弁護士や会計士、税理士、社労士、弁理士といった各分野の資格者とネットワークを組み、案件ごとに最適なプロジェクトチームを編成して対応している点にあります。専門分野を縦割りではなく横断的に活用し、経営の現場に必要なサポートを届ける仕組みを作っています。
学生時代と司法書士合格まで
石塚:そうした現在の取り組みに至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか。
学生時代からお聞かせいただけますか。
藤川:はい。私は大学は法学部に進みました。ちょうど私が学生だったのはバブルの頃です。
周囲を見渡せば、それなりの企業に就職できるのが当たり前という時代背景でした。
ただ、私の場合、高校受験の時に失敗をしてしまい、その経験を挽回する意味でも「有名大学に入る」ということが自分にとって大きな目標でした。
浪人を経てなんとか希望する大学に入ることができたのですが、それで全ての目標を達成してしまったような感覚になり、そこで燃え尽きてしまったんです。
石塚: なるほど。燃え尽きてしまった。
藤川: はい。アルバイトに明け暮れたり、海外旅行に出かけたりと自由な学生生活を送っていたのですが、気づいたら単位を相当落としていました。法学部には入ったものの、「法律を勉強して社会で役立つ知識を得る」という明確な目的意識があったわけではなく、ただ「有名大学に入る」というところで燃え尽きてしまっていたんですね。
石塚: そこからどう切り替えられたのですか。
藤川:単位をとるだけの勉強をしても社会に出ても役に立たないと気づきました。そこで心を入れ替え、「資格取得を目指そう」と考えました。それが司法書士を志すきっかけでした。幸い、大学を5年に延長することになりましたが、その年に司法書士試験に合格することができました。

証券会社で得た経営視点と1つの危機感
石塚: 司法書士の資格を取った後は、どういうキャリアを歩まれたのですか。
藤川: 大学卒業後、証券会社に就職しました。もともとはM&Aの部署を希望していましたが、配属されたのは公開引受部という部署でした。ここは、株式公開を目指す企業の上場準備を全般的にサポートする部門で、経営そのものを幅広く支える仕事でした。
石塚: 公開引受部というのはかなり特殊な部署ですよね。
藤川:そうですね。証券会社の中でも特殊な存在で、経営のサポートを横断的に経験できる点では非常にやりがいがありました。M&Aとは違いましたが、会社全体を支えるという面で面白さを感じました。
ただ、そこで私はある種の危機感も覚えました。「このまま働き続けると会社を辞められなくなるのではないか」と。
石塚:早い段階でそう感じたんですね。
藤川:独立したいという思いがもともと強かったので、1年足らずで証券会社を辞めました。短い期間でしたが、経営の現場を見ることができた経験は、その後の自分の方向性に大きく影響を与えたと思います。
法律事務所での経験と司法試験挑戦
石塚:そこからは独立されたのでしょうか。
藤川:いいえ。司法書士の資格は持っていましたが、やはり法律の世界で専門家として生きていくには弁護士資格が必要ではないかと考えたんです。そこで都内の一般民事を扱う法律事務所に転職しました。
石塚: 具体的にはどんな案件を担当されていたのですか。
藤川: 債権回収や個人破産、債務整理、裁判実務、企業法務、さらには相続案件など、多岐にわたる業務を経験しました。規模は小さめの事務所でしたが、弁護士が7名ほど在籍しており、法人顧客から個人まで幅広く対応する事務所でした。私は弁護士のサポートをしながら、実務を徹底的に学びました。
石塚: 司法試験にも挑戦されたんですよね。
藤川: はい。7年ほど挑戦しましたが、結果としては合格できませんでした。ただ、ちょうどその頃、司法制度改革が進み、ロースクール構想が出てきた時期でした。また、ベンチャー市場が大きく変わり始め、店頭登録制度がJASDAQに改称され新しい市場も誕生していました。
そこで私は「株式会社でも十分に企業法務やベンチャー支援に関われるのではないか」と発想を転換したんです。
起業から医療モール事業まで-壮絶な経営ストーリー
石塚:そこで独立を決断されたということですね。
藤川: はい。最初に考えたのは「専門家に特化したレンタルオフィス」です。資格者が物理的に近くに集まれば、すぐに相談もできるし、案件ごとにチームを組める。そうした体制を目指したのです。
石塚: 今でいうシェアオフィスの先駆けのようですね。
藤川: そうです。ただ、現実には思うように案件が集まらず、資格者のための営業窓口のようになってしまいました。当時はコンサルティング会社としての実力もまだ不足していたんです。資金繰りも厳しく、次の一手を模索する必要がありました。
石塚: そこで医療分野に?
藤川: はい。ちょうど勤務医が独立して開業する支援のニーズを知り、ゼロから挑戦しました。診療圏調査を行い、融資のサポートをし、資金調達や経営全般を支援しました。さらに発展して、地主と医師をつなぐ「医療モール」の企画へと広がっていきました。神奈川を中心に展開し、WBSなどメディアにも特集されました。
石塚: かなり注目を集めたんですね。
藤川: ただ、その後は商業モールや不動産業者が参入し、供給が急増しました。ドクターの確保が難しくなり、VCから資金を入れてIPOを目指しましたが、一気に経営は厳しくなりました。
まさにジェットコースターのような経験でした。そこからは中々大変な日々でしたね。
石塚: 逆に司法書士の資格を持ちながら、そのような経験をお持ちなのは中々珍しいですよね。

リーガル・アソシエイツの強み“経営者との目線合わせ”
石塚:現在、リーガル・アソシエイツはどんな支援をされていますか。
藤川:法務を基盤としながら、人事制度の構築や事業承継、資金調達、企業評価、株価算定、組織再編など幅広い支援を行っています。特に事業承継では、創業者から2代目へのバトンタッチの際、トップダウン型から新しいマネジメント手法への移行をサポートするなど、人事制度の再設計を行うこともあります。
石塚:やはり経営者目線で考えた時に、あくまで資格者の目線でアドバイスを受けることはあっても、もう一歩踏み込んで、経営者目線でアドバイスをしてくれる方は中々少ないと思いますね。
その点、藤川さんは経営者としてのご経験がベースにあるので、とても心強いと思います。
やはりそこは意識されている点でしょうか?
藤川:やはりその「目線合わせ」は一番意識している点ですね。経営者がどのような背景や思いを持って判断しているのかを理解し、その上で必要な専門家を適切に組み合わせる。専門分野の知識だけでなく、人としての相性やキャラクターまで考慮することを大切にしています。
石塚: 経営者の立場に立って考えられるのは、ご自身が経営者として大きな浮き沈みを経験されたからこそかもしれませんね。
藤川: その通りだと思います。あの時の経験があるからこそ、経営者の悩みや苦しみを肌感覚で理解できる。だから私は“経営者の隣に立つ”という姿勢を一番大事にしています。
編集後記
今回の対談を通じて印象的だったのは、藤川さんが司法書士という専門資格を起点にしながらも、常に「資格の枠を超えて経営にどう寄り添うか」を問い続けてきた点です。
証券会社で経営の現場を見て芽生えた独立志向、法律事務所での実務と司法試験への挑戦、医療モール事業での急成長と急失速――まさにジェットコースターのような経験を経てたどり着いたのが「経営者と同じ目線で伴走する」スタイルでした。
専門知識の提供にとどまらず、経営者の背景や思いを理解し、その上で最適なチームを組む。その姿勢は、多くの中小企業やベンチャー企業にとって何より心強い支えになると感じます。
後編では、リーガル・アソシエイツが現在特に力を入れて運営している司法書士事務所の魅力に迫っていきます。
▶︎後編はこちらから
ご紹介
Profile

リーガル・アソシエイツ株式会社
代表取締役社長
相続・事業承継・M&A・事業再生など複雑な案件に精通する専門家。
大手証券会社や法律事務所での経験を経て1993年に司法書士事務所を開設。
2000年には国家資格者を束ねたリーガル・アソシエイツを設立し、ワンストップ体制で経営者を支援。
2016年には信用金庫と連携し相続支援センターを設立、以降遺言作成600件超、遺産整理1000件超を解決に導く。
依頼者の想いを丁寧に受け止め、調整力を活かして「ややこしい相続」を円滑な承継へつなげる姿勢で、数多くの信頼と感謝を集める。

株式会社ウェブリカ
代表取締役
新卒でメガバンクに入社し、国土交通省、投資銀行を経て独立。腕時計ブランド日本法人の立ち上げを行い、その後当社を創業。
地域経済に当事者意識を持って関わりながら、様々な企業の利益改善や資金調達を、デジタルや金融の知見を持ってサポートしています。
■編集長インタビュー
「メディア「地域色彩」立ち上げの背景とは?株式会社ウェブリカ・石塚直樹が語る地域企業活性化のビジョン」