株式会社三谷製作所-三谷晋一郎


株式会社三谷製作所 代表取締役社長 三谷 晋一郎 MITANI SHINICHIRO

創業or社長就任の経緯を教えてください。

三谷製作所は曾祖父が1918年に創業し、私が5代目にあたります。東京の大学を卒業後、社会人経験を積むために広告会社に就職しました。一時期、後継ぎとして決められた道を進むことに嫌気が差し、将来について悩んだこともありましたが、会社の歴史を次代へ繋げていきたいという思いから、14年間勤めた後、2010年に三谷製作所に入社しました。

経営の中で苦労したことや嬉しかったことなど、印象に残っているストーリーを教えてください

私たちのようなニッチな分野で仕事をしている会社でありながら、この1年間でテレビ取材が3件入りました。それは会社の技術が取り上げられたのではなく、『けん玉採用』という新しい切り口で研磨士を募集する採用方法に興味を持ってもらえたからです。ケンダマとケンマは言葉が重複しているだけでなく、いろいろな共通点があることから、けん玉が上手い人は研磨士に向いているのではないかと考え、この企画を思いつきました。最終的に採用までつながり、テレビに露出したことで、多くの方に会社を知ってもらうきっかけになりました。アイデア次第では、私たちのような小さな会社でもメディアに取り上げてもらう方法はいくらでもあることに気づけました。

あなたが思う御社の事業の魅力を教えてください

私たちはメーカーとして自社製品をつくっているわけではなく、あくまでもメーカーから依頼されて一部品を加工しています。そのため、特定の製品に縛られることなく、技術力を生かしてさまざまな会社のさまざまな製品の製作に携わることができます。重要部品であればあるほど、メーカーと共にその先のお客様の未来を描くお手伝いができるというところにこの事業の大きな魅力があります。

御社の事業は周りの方からどのような評価をいただいていますか?

業界内では、私たちの会社は加工技術の高さで全国的に認知され始めており、他社で断られたような難易度の高い仕事の相談が集まってきます。特に長尺物の加工やネジ加工では全国でもトップレベルの技術を有しており、高い評価を得ています。

御社の事業が素晴らしいと思う理由を教えてください

「チャレンジを讃え、失敗に寛大」、これが三谷製作所の企業文化です。若い社員にも新しいことにチャレンジするイズムが育っています。そのため、新しい材質へのチャレンジや加工技術の向上に対して研鑽を惜しまない風土が根付いています。職人と呼ばれる技術者がどんどん減っている中、将来的には大きな競争力を発揮し、市場においてますます優位に立つことができると考えています。

地域との関わりで意識していることを教えてください。

広島県は人口流出が3年連続ワースト1位という深刻な課題を抱えています。尾道市も同様に人口の流失を抑制することが難しい状況です。このままでは地域の活力は失われてしまいます。私たちが意識していることは、若い人たちに尾道企業の魅力を発信し、地元で働きたいと思う人を増やすことです。そのため、学校と連携して企業を知ってもらう取り組みなども始めています。私は、尾道は面白い企業が集まっている魅力的な街だと思っています。その中の一つとして、ものづくりで面白い会社として人々が集まってくれる会社になりたいと考えています。そんな考えを持つ企業が集まり、街が変わっていくことを願い、行動しています。

今後のビジョンを教えてください


三谷製作所は100周年の際に、200年企業を目指すと表明しました。その基盤づくりのため、昨年工場を増設しました。今後さらに機械設備を増やし規模を拡大していきます。そして、ものづくりの新しい魅力を発信し、共感してくれる仲間を増やすことで、尾道をものづくりの面白い会社が集まる街に変えていきたいと考えています。これにより、尾道の新たな魅力を発信するお手伝いができればと願っています。今年、私たちは自社を「ワクワクものづくり企業」と定義しました。そして、我々のパーパスは「ワクワクものづくりを通して、尾道の魅力を発信し、尾道を良くしていく」ことだと考えています。その為に全力で走り続けたいと思います。

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株式会社三谷製作所 代表取締役社長

三谷 晋一郎 MITANI SHINICHIRO