創業or社長就任の経緯を教えてください。
1952年に私の祖父が創業いたしました。 もともと祖父と、その兄の2人でパン屋を創業したことが始まりで、兄はそのままパン屋を続け、私の祖父は和菓子で独立いたしました。 もともと三藤家は広島にありましたが、戦争で広島では生きていくことができなくなり、川崎で商売を始めたのが始まりです。 その後、私の父が後をつぎ店舗展開やいまの商品の基礎作りをしてくれました。 2020年10月に私が父の後を継ぐかたちで社長に就任いたしました。
経営の中で苦労したことや嬉しかったことなど、印象に残っているストーリーを教えてください。
<苦労した点> 社長就任時がまさにコロナのタイミングでしたので、商業施設などの店舗を長期間にわたって一時閉店せざるを得なかったことです。 我々のような中小零細企業はまさに人が資本ですから、従業員のみなさんには残っていただきながら、なんとか耐え忍んだという形です。
<うれしかったこと> 常連のお客様がお亡くなりになられて、どうしても弊社のお菓子を棺にいれて一緒に焼いてあげたいとご親族の方がお見えになられた時です。 たったひとつのお菓子でも、その方にとっては大切なものだったと感じていただけていたことが非常に心に残っています。
あなたが思う御社の事業の魅力を教えてください。
独自製法を多数保有しているため、ほかのお菓子屋さんでは作ることができない食感・品質のお菓子を作ることができると自負しています。 例えば、餅。 餅は普通冷凍すると固くなります。硬くならないように他社では砂糖をたくさん入れたり、酵素とよばれる添加物を入れたりしますが、弊社では無糖でかつ無添加で餅を冷凍できる技術を持っております。 また、お客様によくお褒めいただくのが店舗スタッフのサービス力です。 マニュアル自体は存在はしておりますが、働く皆さんが「お客様のために」という気持ちをもってくれているので、いついっても気持ちの良い接客をしてくれていると思っています。
御社の事業は周りの方からどのような評価をいただいていますか?
よくいただく大変ありがたい評価は「何をたべてもおいしいから」と言っていただけることです。前述の通り、餅以外にも当社でしかできない製法がたくさんありますので、すべての商品に素材や製法のこだわりをもって作っています。 また、川崎の地元の銘菓として帰省の手土産や贈答品としてご利用いただいております。
御社の事業・サービスが素晴らしいと思う理由を教えてください。
<独自製法> 他社では「一般的なレシピ」とされているものが当社では「使えないレシピ」となります。 どうやったら一般的なレシピで作られたものと差別化できるか、これが商品開発のはじまりになりますので、他社と同じような味の商品はが生まれることはありません。 簡単に作れるものではなく、当社でしか作れないものにこだわっています 。
<サービス> とにかく販売スタッフの皆さんが明るく、笑顔で、お客様のためにという意識を持ってくれていることです。
地域との関わりで意識していることを教えてください。
川崎市で栽培される「多摩川梨」という梨を原料として使用しています。 傷ものなどの一般に流通できないものを、ピューレの形で当社で買い取り。年間1000㎏程度の梨を弊社で使用しています。フードロス対策にはなっていると思います。 また、地元小学校の3年生むけに社会科の授業を1コマとらせていただいており、和菓子とはなんぞや、お話をさせていただいております。すこしでも日本の食文化に興味をもっていただけるといいなと思っています。 川崎フロンターレ・川崎ブレイブサンダースのサポートをさせていただいており、スポーツを通して、より川崎のみなさまに和菓子というものを知っていただけるような取り組みもしております。
今後のビジョンを教えてください。
「川崎を、お菓子のまちに」これをビジョンとしています。 いろいろなマイナスのイメージがある川崎市ですが、当社が川崎に根を張ってお菓子作りをしていくことで、川崎をお菓子のまちにしたいと思っています。
実は日本で一番餅の消費量が多いのが川崎です
実は日本で一番桜餅を食べているのは川崎です
こんな未来を想像しています。