創業or社長就任の経緯を教えてください。
当時は、地域の人が持ってくる大豆と、うちで作った豆腐・油揚げを交換するのが始まりでした。豆腐を作りながら、荒物屋や山仕事、蕎麦挽きや味噌作りと色々とやっ
ておりました。そこから、地域の豆腐屋が撤退するようになりその株を引き継いでからですかね、豆腐屋一本として「谷口屋」は生まれました。当時はたった8坪の地下室で作っていて、コンクリートで囲まれた防空壕のようなところでした。地下に作業をするスペースを設けて、煙突も出してそこで豆腐を作っていたんです。
経営の中で苦労したことや嬉しかったことなど、印象に残っているストーリーを教えてください。
家業を継ぐのは、子供の頃は嫌でしたね。服に油揚げの油の匂いが付くんですよ。香水みたいな良い匂いならよかったんですけどね。もともとは、定年退職をしてから家業を継ぐつもりでいたんです。ですがもの作りは好きでしたので、土日だけ家業の手伝いで行商に出たりしていました。行商は、基本は、個別訪問でしたね。一度買ってくれた人はリピートする人ばかりでした。お客様からは、今度はこれが食べたい、あれが食べたい。とリクエストされるんです。そうしたお客様のヒントから、豆腐屋を継ごうと思いまして、、郵便局を辞めて豆腐の本格的な修行を初めていきました。苦労したことは、元は家族でやってきたものなので、外の人を使ってやっていくという苦労と、規模が大きくなるにつれて今度は自分が大きくならないといけない状況になってきまして、器を広げないといけないということですね。経営者としての人並みの苦労はだいたい味わってきていると思います。
御社の商品・サービスが素晴らしいと思う理由を教えてください。
掃除ですね。掃除をすることで、精神性を鍛えられます。掃除が下手くそだと、他のことが見えなくなるので、いろんなことに関して後々大変になったりします。また、揚げ師が手作業でじっくり揚げていますが、掃除が上手くなることによって、手首の使い方が上手くなるのかなあ・・と。お客様の口の中に入れるものなので、衛生面などはしっかりせんといかんなと思いますし、今考えると1つの修行だったのかなと思いますね。素材に関しては、昔は問屋さんが持ってきたものでやってるといった状況でしたが、今は、いいものは全て使おうって思っています。美味しい大豆や油、色々試行錯誤している部分でもあります。ちなみに、国産の油は希少ですが、うちは国産100%でやっています。人材育成については、私は家業を継いだ時から、元気で明るい、かっこいい豆腐屋さんになりたいなと思っていました。そのためには若い子に手伝ってもらいたいという思いがあったんです。
今では、揚げ師なんかも結構育ってますし、若い子たちには、積極的にチームを作ってチーム力を上げてもらっています。結構それが私たちも、勉強になったりするんですよ。
地域との関わりで意識していることを教えてください。
「私たちは食を通じて、お客様、仲間たち、縁あるすべての方々の幸福を考え続け、世の中に貢献します」という理念を世界に広げていきたいと思っています。お店に友達と来る。または家族と来る。そしてそれを近所の人に持っていく。そうしてこの油揚げは、絆が結ばれていくんやなぁって。家族団欒としていきたいなぁと思っているので、そういった意味で世界にも行きたいなと思っています。小さい油揚げ屋さんが世界で作れたらいいなと思うのが今の夢ですね。
今後のビジョンを教えてください。
以前2回ほどアメリカのニューヨークに行き、色々視察を行いました。そこではどういう状態で売られているのか確認しましたが、揚げたてのものはなく、やっぱりあるといいなと思いましたね。また、ブルックリンで試食会をやることができたんですが、非常に好評で、全部で70枚くらい持っていっていたんですが、半分はもう予約で売れてしまったんです。本当にここで揚げたての油揚げをやりたいなと確信した出来事でした。ヴィーガンの人や宗教的な人など、そういった人たちにも広がる可能性を感じました。